諦める
【諦める】の語源を調べてみました!
『日本語で「諦める」といえば、自分の願いごとが叶わず思いを断ちきる、という意味で使われるのが一般的。
しかし、「諦観」、「諦聴」といった熟語は「つまびらかに観る・聴く」という意。
つまりは「明らかにする」が、本来の意味である。
そして、漢語の「諦」は、梵語で真理・道理を意味する』と。
諦めるとは取捨選択する真理なのかもしれませんね。
向いていないことを無駄に続けている。
間違ったやり方を頑なに通している。
意地になって執着してる。
そういうことを明らかにして方向転換することを諦めるというのかもしれませんね。
相手は本気で無いと分かっているのにズルズルと不倫をしている人。
旦那さんが他へ気持ちが完全にいっているのに意固地になって離婚届にハンコを押さない人。
才能が無いと理解して手抜きしているにも関わらず周囲に迷惑を掛けながら芸術家やアーティストや作家を目指す人。
引き際が来ていると内心分かりつつ、第一線を引かない人。
感情の問題もあるから簡単なことでは無いかもしれないけれど、本当のところは誰よりも本人が一番分かっている。
しかし、それを明らかにしたく無いというところでしょうね。
簡単に諦めるのは違いますが…
『諦め時』『引き際』が来ているのに執着することは悪あがきのよう。
清々しさで手放したら新たな道がまた広がることもある。
諦めるは潮目を明らかにすること。
そして、良き方向転換を図ること。
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