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心の核

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皆さんは心の真ん中に核がありますか? 私は先日にも書きましたが無い 無かった ど真ん中にあるはずの私の 核 が無い 例えば、欲しいモノありますか? 嬉々として車やバッグのことを熱く語る人いますよね 趣味でもコレクションのこと または推しのこと 私には本音言うと何も無い そりゃ、お金が沢山あれば楽だろうなーとは思う ケド、そのお金で欲しいモノも無ければ行きたい所も無い ここ数年、いや、何十年と私はただ「 楽になりたかった 」 それだけが欲しいこと それはお金で買えるのか? もはや、欲しいモノは無い 毎日毎日、 楽になりたい! それだけを願って生きてきた 欲しいモノがあったり、行きたい所があるのは幸せなこと 叶う叶わないは別にして、そういう夢をみられることは幸せなこと 精根尽き果てると、何か欲しいとかは無い ひたすら、ひたすら、「 楽になりたい 」と願ってきた それが自分の 核 が無いことなんだなぁ〜と思う 自分のど真ん中が無いから、欲しいモノも何も無い だから、せめて 数命判断 をした方の欲しい成功を応援したいなぁ〜と思ってきた 夢や野望や野心が有るってことは自分の 核 があるから望むことなんだろうなぁー?!と

深い闇

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崔燎平サンがYouTubeで「師匠が深い闇や傷が有る人には他の人がハマる魅力があると仰っていた」と なるほど! と感心しました ファンがつく ハマる 推しがつく そんな人はハマるだけの深い穴(傷)があるからこそ、そこへ人はハマるというのは成程なぁ〜と 私の周りでもずっと幸せで まるで幸せボケか?!みたいな人がいる 順風満帆で何の苦労も無く(人並の苦労はあるとしても)、トントン拍子に来た人は人の痛みが分からない いつも上面の会話しかしない 話が軽い 人間的にも魅力が無い そういう人、周りに居るでしょう?! ブランド品や高級車に乗り、自分のプチ文句を大きな声で喋っている人 相手の立場や状況お構い無し 相手が大変でも自分のマウントを取ることしか考えていない その人、魅力ありますか? 確かに暗い顔して構ってちゃんも困りものですが、幸せのぬるま湯に浸かりきって頭も心もびょーんびょーんで空気も何も読めないのも始末に負えない そういう人に反して 苦労を乗り越えた先に笑顔でいれる人の方が遥かに魅力的です

今、寝込み中

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4日前から高熱で寝込んでいます 病院でお薬も頂きましたが効かない 解熱しないですね… 免疫力UPと体力UPしないといけないなぁ〜と思いつつ、今は寝込むしか方法がありません 水分補給しつつ寝ています 気がつけば、この60年位はゆっくり寝たのは病気の時位 若い頃は病気であっても点滴打ちながら働いていましたが… だから、ゆっくり休むことって無かったかもだなー?!と思う 休むことにも罪悪感があった 「働かざる者食うべからず!」 「死んだら休めるから死ぬまで動け!」とずっと言われていた だから、休むことは悪いことのように感じていたのだと思う 今もやるべきことは山積み しかし、この高熱とふらつきでは何も出来ない 寝てるしか無い これだけ身体はしんどいけれど、気持ちは楽です 休んでも誰も喚かない 誰からも責められ無い なんて自由なんだろうな〜と思うと幸せな涙が溢れます そう思うと昔の奴隷の人はどれだけ辛かったろうな?! 今も苦しんでるヤングケアラーの子供達も苦しいだろうな?! 私は助けて下さる周囲の人が居る 有り難過ぎて申し訳無い もう十分過ぎるほど幸せもらえたと思う 体調不調で知れたことも多い 人の優しさや思いやり また、しんどい時に休んでもいいんだ!ということも自分に許可出来た なかなか、治りそうに無いけれどゆっくりします

呪い

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人は自分自身に 呪い をかけてしまうことがある 私も気付いていなかったが、最近分かりました この呪いは強烈です 自分自身に掛ける呪いは強烈 自分のことはいつも目の当たりにしてるから自動継続的に呪ってしまう 皆さんも案外やってるかもしれませんよ! 気付かずに 私の 呪い は 幼い頃から子守唄のように母親に「アンタが産まれて来なかったら離婚出来たのに」というフレーズを何万回聞かせられてきた 今日まで 父親からも同様のことを言われてきた ずっと私は産まれてきたことに罪悪感を感じていた 私が産まれたせいで両親は不幸になったんだ!と だから、幼い頃からおしんのように働いてきた 大人になってからも両親の奴隷のように生きるのも我慢してきた 私が産まれたせいで両親を不幸にしたんだから罪滅ぼしをしないといけない!と常に頭の片隅にあったのだと思う 酷い親!だと思う前に、私は慮った たった1人の娘にそう言わないといけなかった親の心情や親の置かれていた環境の不幸せさを思ったら私が我慢すれば、それでいいことなんだ!と 私なら自分の子供にはそんな酷なことは言わない しかし、それを呪文のように毎日毎日言わないと生きられ無かった親の幼さや未熟さ、また惨めさ 可哀想とは思っても怒りや憎しみは出て来なかった 仕方無い 産まれてきた私が場所を間違えたんだから…と自分自身に言い聞かせてきた それが私の生まれてから今日までの自分自身への 呪い めっちゃめっちゃ掛けてきました そうしないと生きて来れなかったから それが 親の業 だったと、やっとこの年になって知れた 何事にも遅いということは無いというが、流石に 呪い の年月が長すぎたようで外せない もはや、しんど過ぎて 呪いを外す気力 が薄れてしまっている 不幸に慣れすぎたようだ 皆さんが私より若いならば、若さと気力のあるうちに一日でも早く 呪い をかけているなら外すことをお勧めする 「自分は愛されるはずが無い」 「自分は所詮こんなもの」 「お金は怖いもの」 様々な制約をかけたり、我慢したり、良い子でいなければ!と良い人をやってしまったりと自らへの 呪い に気付くことを祈ります

目に見えない世界

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現実的な人は 目に見える世界 だけで生きている人も居るでしょう?! それを否定する気も無いし、それを間違いとも言いません ただ、世の中の本当の大切なことは 目に見えない世界 にこそ広がっている! そう、つくづく思えています 目に見えているのは氷山の一角 目に見えない世界 がどれほどの影響を与えていることか 例えば 南東にキッチンのあるお家の女性の癌率の高いこと つまりは裏鬼門に水回りを置いているということ その 不浄な氣 の流れがキッチンに居る女性に災いをもたらしている この 不浄な氣 は目に見えない だから、たまたまだろう?!とか 体質だろう?とかって片付けてしまいがちだけれど… 視える人からすれば、悍ましい程の邪気が溜まっていることが?! 見えないけれど、空気があるのと同様に様々な邪気や嘔気が漂っている中に居ると影響は受けて当たり前 人の悪意や妬み嫉みなども見えないからこそ怖い! 見えたらなら避けることも対処も出来ようなもの 見えないからこそ手遅れになることもある これからの時代はあらゆる仕事をAIにとって代われると言うけれど、 運気や宿命や黄金期や低迷期、 また、始動すべき時や身体メンテや心メンテの年回りや月周りはAIにはなかなか出せないと思う 最近、『数命判断』をやってきてて良かったねー!と言われる 本当に良かったと思う

生き念

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よく聞く言葉に『生霊』ってありますよね?! なんか、イメージとしてはおどろおどろしい言葉 お祓いなどをなさってる方は『死んだ者より生霊の方が怖い』と仰る 私も同意見です 亡くなった方は肉体を持たないから、出来ることは少ない しかし、生きている者の 念 は怖い 羨ましい 妬ましい 更にエスカレートすると 忌々しい 憎たらしい そんなところまでいく人も居る 自分の方が裕福であっても、豊かであっても、隣の芝生が青い どれだけ与えられても満足出来ない 実に厄介なモノです 私や私の周りの忙しい人は他人を羨むような暇も時間も無い 熟すべきことに追われていたりして、隣の芝生を眺める間が無い しかし、「忙しい忙しい」と言いながらも他人家のことをチェックしまくり あれも羨ましい これも妬ましい と、不満だらけになる そして、周りの人の不幸を念じる人が現れる こうして『 生霊 』は出来上がる そして、それは 髪 や 服 に張り付くらしい 実に怖い そういう人のターゲットにならぬように目立ぬよう、また違う世界で生きるしかない 今年低迷期の3年目の人は2028年の2/3辺りまでに人もモノも断捨離の必要あり 不必要なモノは一気にバッサリと姿を消す位の勢いで

我欲

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よく、聞く話 「神様に頼みことをしてはいけない」 「仏様に頼みごとをしてはいけない」 知ってます! だから、私は地元の 氏神様 へも『三十日詣』と月末にお礼に伺っていた 月はじめやお朔日に上がる方も多いが、月はじめなら「今月もお守り下さい」と、つい、言ってしまいそうになるかもしれない だから、そんな自分の 我欲 を出さないためにも 月末 と決めて、30年以上ずっーと『三十日詣』に上がっていた 「感謝」をお伝えに 「今月も何とか無事に月末をお迎えさせて頂きました」 「ありがとうございます」と しかし、今、振り返ってみれば きっと、私の中には助けて欲しい!!という 我欲 が一杯だったと思う それはダメだから、そんな愚かさを封じるために、自分を律するための行動だっただけであると思う それほど辛かったのだと思う そんな、私の心の内をきっと神様はお見通しだったのだろう だから、私のこの30年余りの行動は神様からすれば滑稽だっかもしれない 私は毎月月末に『三十日詣』 そして、塾や家庭教師の生徒の受験合格のお礼や有り難いことがあった時には氏神様に上がっていた もはや、縋るところがそこにしか無かったのだと思う 自分の 運命 の厳しさに精一杯頑張っても報われ無い現実に対処する方法が見つけられなかった ふと、思う 信仰宗教にハマる人 パワスポ巡りをする人 朱印帳集めをする人 みんな、大小の違いがあったとしても、どうにもこうにもならない不如意なことが降りかかる現実を変えたい!! そんな心があるんだろう〜?と 持って生まれた 因子 生まれた家の 因果 親や祖父母や先祖の 業 そんな抗えない 因果律 に苦しむ人が多いから寺社は絶えずに続いてきたのだろう 少し前に 数命判断 をした若い女性 幼い頃に壮絶な苦労してきたからこその優しさをみた 何不自由無く育った同世代の子には無い辛さを乗り越えたからこその笑顔があった よく、生きてきたね だから、会えたね?!と その女性とあった夜に涙が止まら無かった よく、生き抜いてきたね!と 数命判断 をやってて良かった!と思った瞬間でした 成功 を目指す人の背中を押したい! それと同様に 辛い因果律 の人を救えるほどに力を付けたい!!と、そう思った それも、私の 我欲 なのかもしれない?! 傲慢なことかもしれないが、自分の生き抜いた日々を役立てられるかもしれな...