後ほど怖い
小学6年の頃だったかな?
『仏教会』と言って、夏休みにお寺へプチ修行に行くという体験がありました。
お掃除や正座をしたり、講演に来られたお坊さんの法話を聞くのですが、今でも夏休みになるとその時の話をざっくりとですが思い出します。
それが『後ほど怖い』という話でした。
うろ覚えのところもあるのですが、要約すると、こんな話でした。
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5人組のいじめっ子達がいるとします。
そのいじめは酷いもので、いたずらといったレベルでは無く、いじめられた子の魂を傷つけるものでした。
その子は学校にも行けなくなり辛い毎日を送っていました。
その子のお姉さんは御住職に言いました。
「なぜ、神様や仏様はいじめっ子達にバチを当ててくれないのですか?」と。
御住職は「待っていなさい!と。
すると、いじめていた子達には成長するに従って自業自得と思われるようなことが次々と起こった。
すると、そのいじめられた子のお姉さんがまた、御住職のところへ来て言った。
「いじめっ子達にバチは当たってるのかもしれませんが、1番の首謀者のいじめっ子達のリーダーだけは何にも起こらず平気に暮らしています。
どーしてですか?
私は誰よりもあのいじめっ子のリーダーだけは許せません。
仕返しをしたい位です!!」
それに対して御住職は仰ったそうです。
「まぁ、待ちなさい。後ほど怖いのです」
そして、暫くするといじめっ子のリーダーに目も当てられない程の厳しいことが起こったそうです。
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子供時代の記憶なので、不確かな部分も有るけれど、私は幼いながらに思いました。
直ぐに当たるバチはしれているんだな。
後から来るバチほど怖いものなんだ!と。
今、振り返ってみれば・・・
この話は御住職はお姉さんのために敢えて、そう仰ったのかもしれません。
また、本当のところは神様も仏様もバチなど当てはされない。
単なる自業自得だったのかもしれない。
しかし、私はこの説に賛同!
無くは無い話だなぁと思います。
リーダー格が怖くて弱い心でいじめに加担した子には思い違いしてるよという小さな試練やお試しで軌道修正が図られる。
しかし、他人の魂を傷つけるような悪を行っておいて平気な人には自業自得なことが時間を経ってから訪れる。
だから、仕返しする必要も無い。
そこから難しくとも視点を外して、自分の人生を真摯に生きていく。
バチは天に任せて、そこに執着しないことがいいという教えだったのだろうと。
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