千ケ峰の麓で数命判断
知る人ぞ知る『千ケ峰』という山の麓で私は生まれ、今も変わらず住んでいます。
幼稚園の頃から登山と言えば千ケ峰。
幼稚園は登山口の市原キャンプ場まで。
小学校になってからの低学年は『市原コース』を、高学年になると少し険しい『三谷コース』で頂上を目指します。
大人になってからも若い頃はご来光を拝みに元旦は千ケ峰の頂上へと幾度となく。
校歌には千ケ峰が織り込まれたものを歌い続け、当たり前の日常に存在する山でした。
最近、数命判断をしていて千ケ峰を見る度に思ってることを書きます。
少し長いですが、お付き合い下さい(*^^)v
人生は誰しも頂上を目指して登っていくという意味では登山に似ているなぁ~と。
千ケ峰に市原コース、三谷コース、岩座神コースと有るように、人それぞれコースは違えど、頂上を目指していくという意味では同じ。
幼い頃は学校の先生に秋の良い季節の日に登山日を決めて貰い、年齢に合わせたコースを先導して貰う。
でも、大人になったら自分でタイミングを図り、自分に合ったコースを選び、下準備をして『人生の登山』を目指す。
自分を解っている人は自らに合った人生の登山計画を。
しかし、自分を解っていない人は真冬の時期に軽装でハードなコースを選んで遭難をして周りに迷惑を掛けた挙げ句に辿り着かない。
案外、自分のことを解っていない人は無謀なことをやらかします。
そういう時に自分を知るために『数命判断』も1つの手立てなのかも?と感じます。
ご依頼頂いた方に少しでも素晴らしい人生の頂上を見て欲しい!!と願いつつ。
同じような気持ちで使命を全うされている方が同様の生業の方なんだろうな~と。
そして、山道には迷いやすい所も有る。
そこには道標が有る。
先に登った人が後の者へ知らせるもの。
それが先人の智慧だったりするのかな。
また、ガイドの役目の人も居る。
いいガイドの人に出会えることも大切なこと。
そして、登山ではすれ違う人と必ず声を掛け合うのがお決まりですよね。
「こんにちは!」
「もう少しですよ」とか。
「滑りますから気をつけてね」とか。
それがご縁の有る励まし合えるイイ仲間や友人なのかな。
雪の日に本当にハードだった年のご来光をを頂上に臨んだ時に、見も知らない男性が「どうぞ」と渡して下さった紙コップの珈琲の温かさと美味しさは今も忘れられない。
それが、人生における行きつけのお店だったりするのかな?なんてね。
そう思うと『人生という名の登山』はいと楽し!!
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