誕生と逝亡
2005年頃に心斎橋まで心理学の学校へ通っていた!
主宰の先生がネイティブインディアンの村で8ケ月位の生活をして帰国された頃で色んな話を伺った!
特に印象に残っている話がある。
ネイティブインディアンは『人は誕生した時にオギヤーと泣くのはこれから始まる人生の修行に対して「大変だー!」泣く。
周りの人が「おめでとう」と言うのは「肉体を持てたから、これからは様々な学びが出来るから良かったね」とおめでとうの言葉をかける。
それに反して、人は亡くなる時には本人はこれで修行が終わるとホッと安らかに眠るのに対して、周りの人が泣くのは「もう、これで肉体が無くなるから、修行が出来なくなって可哀想だね」と哀しむ』のがネイティブインディアンの考え方と。
こんなニュアンスの話でした!
(微妙な細部はうろ覚え(;^_^A)
その時に隣の席の人が「あ!だから死産や流産をした赤ちゃんが泣かないのは辛い修行が免除になって楽だから泣かないのね」と。
ほぉー!
と妙な納得をした覚えがある。
今世で肉体を持ち、経験や体験をすることが必ずしも辛い修行とは限らない。
しかし、肉体があるから病気や怪我という試練を味わうのも確か。
そう、思うとモノは捉え方で全く反対のことにもなるよね。
とりあえずは「終わった~!」と清々しく今世を終えたい。
そして、欲を言えば、少し位は周囲から惜しまれる生き様を~と思うのも執着かしらね(笑)
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