固定観念
人は固定観念に苦しむ。
みんな何かしらの固定観念が擦り込まれていますよね。
学歴が大切
お金が大切
見た目が大切
才能が大切
世間体が大切
など、列挙にはキリが無いけれど…
親や祖父母など身内は悪気は無いけれど、固定観念を擦り込む。
その固定観念は絶対的な正しいモノでは無いのは皆さんご存知の通りです。
今は『命』は大切は当たり前。
しかし、戦国時代の武士なら多くの人を殺せば立派なこと。
ましてや、相手側のトップの頭を持って帰れば英雄。
しかし、今なら猟奇的殺人事件として大騒ぎとなる。
それは当たり前。
今の時代での法律や倫理観や道徳や何をとっても頭を持ち帰るなど有り得ない。
しかし、それは今の固定観念を植え込まれているから。
戦国時代には全く違う固定観念を植え込まれていたから、当時ではそれが当たり前。
しかし、戦国時代でも身近な人が殺されることを辛いと感じていた人はいたはず。
しかし、そんな声は上げられ無かった。
その時代の固定観念。
赤ちゃんから固定観念を持って生まれてくることは稀でしょう。
100%無いとも言えないからね…
しかし、いつの間にか固定観念は育まれていく。
それに一般的に一番影響力が有るのは親や祖父母などの家族。
だから、数命判断でも親の数命判断の影響を受けることがある。
異常な位にプライドの高い数命判断の親のお子さんはホンマモノでは無いけれど、プライド高い擬きのキャラが形成されていることがある。
だから、親元を独立されてから本来の数命判断の結果寄りになられる。
しかし、親元を独立していない私のような場合は親の固定観念の縛りから放たれ難い。
だから、親の数命判断は悪くて、本人の数命判断が良い場合は早く親元独立する方が上手くいきます。
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