暇は是か非か
悩み多き人はいらっしゃる。
私にも次々と悩み相談や同じ堂々巡りな悩み相談(?)してこられる方はいらっしゃいます。
その方は結局のところ『暇』なんだと思います。
仕事や家や地域の用事でスケジュールは一杯と仰るけれど、『暇』なんです。
本当のところは。
本当に忙しくって食事取る暇も無くバタバタだったら、目の前のことを熟すのに必死で頭の中に悩み事を置くスペースが無くなります。
さて、じゃ、『暇』は是か非か?
School(学校)の語源はギリシャ語のスコラ(暇)からきているというのは有名な話で、古代ギリシャでは勉強は『暇つぶし』にやるものだったそうです。
な、な、なんと?!
その当時は「仕事」は奴隷がしていたので、普通の市民は働く必要なし。
貴族は毎夜事にパーティ三昧で多忙だか、市民は暇そのもの。
だから、哲学や文学・数学・天文学は『暇な人間が作ったもの』。
ならば、暇は有益なもの。
暇な人が居たらこそ人類のとって役に立つモノが生み出されたといえる。
しかし、暇な人は暇をもて余すとロクでも無いことに悶々として頭の中を悩みに占領されてしまう。
だから、暇ならば資格を取るとか、習い事を始めるとか、勉強会に参加するとか、とにかく頭の中に暇つぶしのネタ(勉強)をいれること。
そうすれば、暇は是となる。
マラソンや草引きの単調なことだと頭の中は悩み事が占拠したままとなるからダメ。
脳を使うような勉強の要素のある暇つぶしを早く探して下さいね。
周囲で悩み事ばかりの人には暇つぶしを見つけるように言ってあげましょう(*^^*)
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