視点を上げる

昨日のエゴの話の続きでね。

昔に正しい七夕短冊の書き方を教えてもらいました。
もう、今年は過ぎたので来年には是非とも。
(早く書けよ!!やね)

これは短冊だけでは無く絵馬にも通じる話なので役に立つと思います。

かなり昔に聞いた話。

もし、貴方が神様だとして七夕短冊の願い事を叶えるとして1笹1名限定ならどんな文章のモノを叶えようと思うか?

・お金持ちになりたい→貴方だけがハッピーというエゴそのもの

・彼氏や彼女が出来ますように→それは当事者の2人だけが喜ぶエゴ

・家族でハワイ旅行に行けますように→家族と旅行関係者のみの喜ぶ話

つまりはエゴの強い願いを叶えてやりたいと神様ほどの方が思うか?

例えば、
・医者になって多くの人を助けられますように

・医者になって儲けられますように

この2つの短冊でどちらを採用しますか?ということですょ!と。

そりゃそうよね。
神様も小我より大我を叶えようとなるはず。

ならば七夕短冊1つ書くにしても視点を上げて願いごとをすべき!と。
この話を聞いて頭では分かっている。
そりゃ、神様の視点ならばそりゃそうだろう?と思いつつ。

私は甞てこれを知りつつも「一日でいいから自由を欲しい」とか「父親の入院費が楽に払えるようになりたい」「旅行に行きたい」みたいなエゴの願いが湧いてきてしまっていた。

今となっては年齢と共にエゴは多少は薄くなってはいるが、なかなか世界平和や世界の貧困問題の解決といった大きなことも勿論良いことと分かってはいるが・・・

身近な人の幸せを願う程度が現実。

そして、今は「神様のお役に立てれば幸いですので私をお使い下さい」的な曖昧な願い事に終始している。
本当に器の小ささを痛感します。

まだまだです。

皆さんには大きな叶えたいことがあるのならば、神様が採用!と思われる願い事を明確化されることをお勧めします(*^^*)

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