清々しく生きる
私のモットーは『清々しく生きたい』!
時にブレますが…(笑)
「あー!いけない、いけない」と戻しにかかります。
ここ数日は爽やかな秋の風の中を山の草刈り三昧。
秋の高い空を見上げて「私も未だ未だ、ちっちゃいなぁ~」と。
(体型じゃなくって、度量のことね)
遥か昔のお仕事仲間の女性がね、私と同じ『清々しく生きる』がテーマだと仰って意気投合したことが有りました。
月日が流れて彼女も親の介護をされているとばったりと会った時に聞きました。
ヨレヨレの姿で大変さは解るのでさらりとその時は立ち話程度。
その後、経済的な大変さから足を踏み入れたビジネスで詐欺に遭われ、介護をされている親から莫大な借金を返済されたと伺いました。
そして、あんなに『清々しく』を信条とされていた彼女はどこにもいらっしゃらなくなってしまったようです。
人はいざとなると狡く生きるか真っ直ぐ生きるかの選択の時に、それまでの生き方が出るものなんでしょうね?!
甘えて依存して生きていたか、歯を食いしばって耐えたか?!
経済的な苦しさは人の心を蝕むモノなんですよね。
私もずっとフリーランスで経済的不安と背中合わせの日々だから痛い位に解る。
お金は魔性かもしれません。
お金のために人を裏切り、言い訳をして、狡賢くなって、辻褄の合わない行動をしながら、自分を正当化する。
少し前に『あざと女子』なんて言葉が流行って、あざと可愛いなんてお洒落風に表現されました。
若い女子が『若気の至り』で狡賢くなるのなら、未だ成長過程だから学びの途上かも?しれませんが…
あざといを辞書で調べると、
1)抜け目がなく貪欲である。悪辣。
2)小利口だが思慮が浅い。
分別もあってよい年齢になって、人を利用する、人を踏み台にする、人を小馬鹿にする、メリットだけを重視で擦り寄るのは私は違うと思います。
本人は気付いていなくても周囲には『狡さが透けて見えます』よね。
それは、その生き方は言い訳をしたとしても自分自身には嘘はつけないものです。
清々しく生きたいですね(*^^*)
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