はじめは下心はあってOK
時々ある質問でね。
「神社に欲があってお参りは狡いようで気がひける」
「お墓掃除をしつつ、ご先祖さんに期待している気持ちが見透かされそう」
「トイレ掃除を金運アップを狙ってしている心の醜さが恥ずかしい」
と、やっていることが偽善的だと自省されていることがあります。
私は全然、そうは思いません!
偽善者というのはあっちにもこっちにも良い顔して、イイ人ぶっている人のことだと私は思います。
信用出来ませんよね?!
私はお墓掃除を何十年としているから解りますょ。
やってみたら、本当に大変なんです。
何時間もかかります!
現実に行動として行っているのですから少し位の下心は当たり前。
何もせずして欲だけで祈ったり、困った時だけお墓参りなんて人は沢山います!
そんな人に比べたら上等ですよ!
私も『河上神社』様にお参りする時には参道に落ちてる大きな枝をポイポイと拾い捨てながら思ってるもん。
「きっと、神様は私にえこひいきしたくなるだろうなぁ~!照れちゃう~」って。
はじめは下心で良いですよ!
ずっとやってるうちに、当たり前になったり、気がついたら自然になってるはず。
下心が段々と『おかげさま』の“げ心”になってるものですよ。
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