因果
今朝から、お墓掃除に行って来たので少しおどろおどろしい話かもしれませんが、大切なこととして敢えて書いておきます。
『親の因果が子に報い』という古めかしい諺がありますよね。
これは小学校5年に祖母とお寺で聞いた話ですが凄く記憶に残っています。
お寺での講演内容は大凡こんな話でした。
『親の因果が子に報いという諺は親の悪行の報いが子の不幸となってあらわれるという意味ですが、私は何十年と仏の世界に仕えると共に多くのご家庭の悩みを聞くうちに新たな解釈を持ちました。
親の因果は『孫』に報いの方が正しいように感じています』
こんな内容だったと覚えています。
遥か昔の話なのによく覚えている理由は御住職の例としてあげられたのが身近だったから。
ある家の主は戦争で活躍して多くの人を殺めた。
それは戦争なのだから武士同士は致し方ないかも?しれないがその男は出世して愚かにも傲慢となり、何をしても構わないという風になり戦地で戦ってはいない女性や子供まで酷いことをしてきた。
その主は戦後は侍としての報酬もあり豊かに暮らしたが、孫娘達は凄まじい程に不幸となった。
男が行った罪は孫娘に報いが全ていくという話だったからです。
私の父方の祖父は満州に戦争中に赴いていて物凄く出世したのでリンクして印象に残ったのです。
私に報いが来るのか?!とビビった覚えが。
これは言わば戒め的な仏教法話なのかもしれないし、道徳的な教えかもしれない。
そう思いつつも数命判断をしていると同様のことを目の当たりにしてハッとさせられることがあるのです。
私調べのデータだから偏りもあるかもしれないし、母集団も小さいかもしれないけれど数命判断時の調べによると凄い確率で起こっています。
また、反対に祖父が人格者であった孫娘は見事な位に恵まれている。
順調過ぎる強運の女性に「おじい様は素晴らしい方だった?」と聞くと必ず返ってくる言葉は「そうなんです!人のために尽くしていた人格者だったと聞いています。亡くなってはいますが」と。
それは本当に見事なほどに。
そう思うと自分自身に降り掛かってくる不幸は自業自得だけれど、何の罪もない孫に跳ね返ってくる不幸は切ない。
今を全うに生きることは何はともあれ大切なことですよね。
清々しく、生きていきましよう(*^^*)
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