22画

数命判断において『22』のある人は基本的に悩める選択肢がある人生。

例えば、シュークリームとエクレアで悩むなんていうのはどちらでも良いじゃないですか?
二つ共食べれば済むし(笑)
私は食べる自信あり(*^^)v

そんなショボい次元では無く、もっと大きな人生において大きな選択肢が現れる。

例えば素晴らしい才能が2つあってどちらを活かしたらよいか?的な。

今なら二刀流もしやすい時代。
芸能人で実業家。
お笑いで作家。
アイドルで医者。

昔なら到底両立出来なかったことも時代は許すようになってきた。

しかし、昔は今よりも両立は難しかった。
そのために今でも、古い観念で許されないことや世界もまだ存在しますもんね。

一意専心。
二兎を追う者は一兎をも得ず。
こういう固定観念。

一つの道をまっしぐらに追い求め、他ののことに興味を示すと一心不乱さに欠けるとされたものです。

一つの才能も無いものからしたら、迷う程の才能が二つもあって羨ましいに尽きますが、本人は才能があるからこそ悩む。

体は1つだから同時刻に例えば違う種目で試合出場は無理というような現実的問題もある。

また、現時点では重婚は無理という法律の壁も存在する。

稼業を継ぐかアーティストになるか?
医者になるか弁護士になるか?
東大と京大どちらにするか?
モテ過ぎてどの異性を選ぶか?
そういう悩みが出てくるのが姓名判断の『22』です。

贅沢な悩み!!と思いますが、本人にとっては辛い

1つの才能ならば邁進
しかし、幾つもの才能があれば、選ばなかった方の選択をしなかったことへの後悔や迷いが生まれる

モテなかって、たった1人の人が寄り添ってくれれば迷うことも無い。
良くても悪くてもその1人しかない。
(全く選ばないという選択は置いておいて)

しかし、モテモテで引くあまたの人にしたら違う人との有り得ない未来をイメージして後悔が生まれる。
(一夫多妻制は置いておいてね)

だから、『22』は中途挫折型姓名判断では言われる。
選ばなかった方は挫折とし後悔しやすい。

しかし、私の知っている人は『22』だけれど考え方で上手くいっている。
その人は「どっちを選んでも同じようなものだったと知っているから」と。

つまりはその選択肢に格段の差があれば、迷わず良い方を選ぶに違いない。
しかし、迷うということはどちらでも同等ということ。

ならば、選んだ方にのみ焦点を当て、選ばなかった防波堤無かったモノと割り切れれば迷うことも挫折と捉えることも無い。

昔は『22』は最大凶としていましたが、時代背景もあり、私は『不明型』と称しています。

考え方次第。
やり方次第。

そういう時代に対応した観点も必要です。

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