命
大学時代に聞いた話。
浄土真宗の御住職の講演で確か聴いた法話だったと記憶しています。
『人は生まれたからには最低一回は強烈な試練に叩かれる』と。
『命を頂いたからには生涯を面白おかしく好きなように生きていては意味が無い。
魂を磨きたい!
そう思って生まれて来て毎日平和ボケのようなぬるま湯に浸かっていては魂のみがきようが無い。
命という漢字をご覧なさい。
人は一度は叩かれると書きますよね。
そう、最低でも一回は魂を磨くような試練に出会うものです』
なるほどな~と二十歳位の私は納得したものです。
私は幼い頃に壮絶な時期を過ごしているから、より納得したのかもしれませんが…
それと同時に「最低一回、えっ?!最低ってことはもっと回数がある人も有る訳?
まだ、終わりじゃないかも?
最高は何回?」と心の中がザワザワした記憶があります。
確かに、私はその後にもなかなかの滅多に訪れないような試練が確実に2回、3回はあったかな?
いや、もっとあったか。
サスペンスドラマ並みのこともあったので、口に出せない内容もあるわ!
出来ることなら再高は5回以内とかって決めておいてもらえたら助かるんだけれどな…
でも、未だ未だな私だから魂の磨きが足りないって気もするのでシナリオを決めて生まれてきたなら仕方ない。
やれるところまで歯を食いしばって、顔で笑って心で泣いても魂磨きの試練に叩いてもらおうじゃないか?!
確か御住職の法話では『試練に叩かれて有難いと思えたら魂磨きは終了。
後は楽しい時間を過ごして他の岸へと逝ける』というような話でした。
試練に文句を言っているようじゃダメなんだろうな。
なんで私だけ?とか。
この試練のお陰で私は生まれてきた甲斐があった、魂を磨かせてもらえて有難いと思うまでなのかな?
共に魂磨きを頑張りましょう(*^^)v
コメント
コメントを投稿