スピではありません

氏神様とかに参っているので、私のことをスピ好き?って思われている人もいるかもしれませんが・・・
全く違います。

また、信仰とも違います。
単に古い人間なので(笑)、信心深いだけ。
20歳代から人前結婚式の司会を続けてきました。
普通は司会者と言えば披露宴の司会が一般的なのですが、私は人並み外れて人前結婚式の司式者のお役目が来る。

そして、その類の仕事は打ち合わせをしている私が本番の司会をするのは当然。
誰かに変わってもらえる職種では無い。

結婚式などは特に打ち合わせをした人と違う人間が司会をするなんてことは御法度。

そうなると体調管理から天候(雪深い地域だから峠を越えるのは死活問題)など常に気を配り、12月に福知山の大江山のweddingレストランで10本の司会なんて入っていれば必死も必死。

絶対に穴は開けられ無い!!
凄まじいまでの気の張り方でした。

そんな中で事故も無く無事に司会を務められれば「今月も無事に終えさせてもらった。有難い!!」と心の底から感謝。

そんなところから、何か人力を超越して大いなるモノの力をお借りしているなぁと思わざるを得ない事を幾度となく経験した。で、自然と氏神様に月末の晦日詣へお参りするようになった。

また、大学の頃から受験生を毎年預かっていると、成績は大事なのは当たり前。
しかし、そんなことより無事に生徒達が実力を発揮してこれるようにと願う気持ちが上回る。

また、結婚式も最近はカジュアルになってきたけれど、昔は大ごとで1日に何百万円と使うご家庭の一大イベント。
上司や媒酌人などを招いてなのでご両家もピリピリとされる。

スタッフもクレームやアクシデント無く、滞り無く終えられるように!と必死。

そうすると、そこに関わる全てのことが無事にいくようにと、司会の朝は仏壇に手を合わせ、晴れた空を眺めて思わず祷る。

会場入りしたら、毎回のように『精神を統一して氣を入れる』がルーティンとなる。

全てにおいて、自分の力なんてモノは微々たるものだと分かる。
最終最後は祷るしかないというとこに行き当たったのが私の晦日詣であり、毎朝にご仏壇での般若心経をあげる信心深さなのです。

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