自分を生きる

昔に知っていた女性。
友人の同級生で面識が何度かあったが親しくは無かった間柄です。

彼女はプライドが高かった。
そのプライドの根源は『お兄さんが超一流国立大学を卒業していること』
その大学をK大学としておきましょう。

彼女は常に口にしていた。
「アナタ、〇〇大学出?三流ね」
「うちの兄はK大学卒だから」
「私は少なくともK大学以下の人とは付き合わないわ」
「結婚するならK大学以上の人」

しかし、彼女自身はレベルは偏差値の低い高校を卒業。
しかし、彼女はスポーツ万能で美的センスが素晴らしくイラスト等の才能が一杯ある。

だから、学歴に拘る必要は無いし、学歴が高いのはお兄さんであって彼女では無い。

その優秀なお兄さん自身は学歴をひけらかすことも無いし、人間性重視だパートナーを選ばれて普通の学歴の人と結婚されている。

だのに、彼女は自身の才能や魅力に目を向けず、開けても暮れても兄の学歴自慢と、他者の学歴デイすることに終始していた。

自然と周囲の人は彼女を敬遠する。
職場でもその調子ですから退職を繰り返して長らく引きこもり状態らしい。
結婚はされずに祖父母や両親の遺産を使って暮らされている。

確かに生活は困ってはいない。

しかし、同級生が言うには「デザインや色使いのセンスも幼い頃から抜群でそれを活かしたら良かったのに惜しい」と。

そう、彼女は彼女の人生を生きれば良かった!
彼女が自己実現して学ぶための才能は十分に与えられていた。
それをお兄さんの学歴を我がことのように同一化してしまった。

時々、子供のことを同一化する親が子供の学歴を自分のことのように自慢することがある。
また、旦那さんの学歴や昇進を自らのことのように自慢したり旦那さんの部下を自らの部下扱いの人もいる。
勘違いも甚だしい。

それを兄のことを自分の自慢のタネに使うのは滑稽でしか無い。

滑稽と言うよりは愚かです。
お兄さんはお兄さん。
彼女は彼女なんですよね。

でも、これは時々ある。
お兄さん好きの妹さんには時々見られがち。

身近な尊敬する存在を自分と同一化したいのか。
そこに逃げ込んでいるのか。
プライドを満足させたいが、自ら努力することは避けたいからか。

この同一化を解こうとすると泣いたり叫んだり暴れたりして必死の抵抗されるために周囲と放置することとなる。

しかし、それは違う。

十分に自分を生きる・学ぶための資質や才能や能力は内にある。
それを活かしきってこそこの世に生まれてきて味わえる醍醐味。

プライドを満足させるだけの同一化は淋し人生です。

私も私自身を生きて来れたか?というと疑問があります。
家のため、親の介護のために生きてしまっていることは否めない。

だからこそ、若い皆さんには自分自身を生きて欲しい!!と願うのです。

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