50歳代
私、50歳前に思ったんです。
これからは私より若い世代の人が年齢を重ねることが嫌なことでは無いんだなぁ〜と思ってもらえるような生き方をしたい!と。
しかし、実際に生きてみるとコロナが起こり仕事も世の中も一変した。
想像していたより年々衰えを感じる。
更年期もあり、シワシミ白髪が増えて目も衰える。
疲れが2〜3日取れない。
起きたら顔についた痕が取れない(笑)
そして、去年は8時間位を草引きしていたのに今年は2〜3時間で熱中症でダウン。
去年出来たことが今年は出来ない。
運転にも疲れ、介護にも疲れる。
思った以上に衰えが急速で不安に。
そして、未曾有の災害や戦争。
聞いたことの無い病気も増え、ニュースでは若い人の呆然とするような事件ばかり。
誰かの役に立ちたい!!と思って生きていた筈が自分が生きているだけで精一杯となり、気持ちばかりが焦る。
SNSの悪用のニュースも多いけれど、人に元気を与えるようなYouTubeを頑張っていらっしゃる人も居る。
私も頑張らなくっちゃ!!とは思ってブログも続けています。
私の拙いブログですが読み続けて下さっている人も居るので有り難いなぁ!と思いつつ続けています。
読んて下さっているのは、40歳代や50歳代の人が多いのでは無いかな?と思うんですが・・・
多分、私の同世代の人は生き辛さを感じている人も私と同様に多いのでは無いかな?と今日の内容にしました。
あのバブル時代を謳歌した60歳代〜70歳代の人は今も前向きでアクティブに仕事や趣味を楽しまれて居る方が多いように思います。
それに反して、私の同世代は谷間か?
周囲からは辛い話を多く聞きます。
大学の同級生の男性は悉く50歳位で早期退社をしていて覇気を感じない。
また、同級生の多くの女性も「仕事を1日も早く辞めたい」「しんどい」と。
仲良しの同世代も介護に疲れて、「もうヨレヨレ。ゆっくり寝たい」とやつれ切っている。
同業の女性も「50歳になった時に、これからはお金儲けよりも登校拒否や学習障害の生徒に寄り添うというボランティア要素を高めようと思った矢先に両親の介護で生きていくだけだギリギリで無理」と。
今の40歳代や50歳代はバブル後の世代で弾けるようなことも無く、不景気な時代からやっと締めくくりの50歳代にコロナが来て不測の事態。
辛い時代背景に生きているように思います。
ワクチンや保険や家族葬のコマーシャルだらけで、ニュースは強盗を平気で中高生がバイト感覚でやっちゃう。
明るくなるにもなれないですよね。
政治に期待しようにも裏金問題や年金の年齢引き上げや不安を煽られるようなことばかり。
私のはじめに書いたような若い世代への憧れの存在には全くなれていない!とハタっと気づく。
情けないなぁ!と。
そんな中、音楽番組(エイトJAM)で竹内まりやサンが仰っていた言葉に少し元気をもらいました。
まりやサンの言葉は「30歳代なら30歳までの作詞しか出来ないけれど、70歳近くとなると70年分の作詞が出来る」と。(今、69歳という脅威の若さ)
なるほどね。
そして、『人生の扉』という曲に付いて語られていた言葉がジーンときた。
『私が51歳の誕生日を迎えたときでした。春生まれなので桜の花を見ながら「もう50代なんだなあ」という感慨とともに、「これからあと何回桜の花を見るのかな」と考える自分がいたんです。ふと、これを歌にするのもいいのかなと思い・・・』
その歌詞がこれ。
『満開の桜や 色づく山の紅葉も この先いったい何度 見ることになるだろう ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ』
素敵な女性ですよね。
素晴らしい生き様。
竹内まりやサンとは私の人生では話にはなりませんが・・・
それでも、やはり重い人生でも一生懸命抱えて生き抜く姿を見せて、たとえ誰か1人の人であっても役に立ちたい!と思います。
自分の出来る目の前のことを懸命に。
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