魂と心
先日、質問をされました。
『魂と心は同じようなものですよね?』と。
答えは「厳密には違います」
昔から例えられる話としてはこれが分かりやすいかな?
「魂は玉子の黄身・心は玉子の白身」
「どっちも玉子やないかい?!」と突っ込みが来そうですが、厳密には違いますよね。
メレンゲは白身しか使わないもんね。
で、他の表現をするなら…
魂は潜在意識。
心は表面意識。
心は傷ついたとか、洗われたとか、痛むとか、滲みるというように感じ取れますよね。
トラウマや何かの影響で心に蓋をしている場合を除いての話ですが。
心がトキメクや打たれるや痺れるなど自覚出来ます。
それに反して、一般的には魂は無自覚ですよね。
余程のことがあったりすれば、魂に響くといった表現をすることは有るかもしれないけれど、「魂が揺さぶられような感覚」と敢えての表現をすることはあったとしても深くの潜在領域ですからね。
ここがポイントでね。
心は楽しいことや嬉しいことを求めますよね。
心が痛むことを求めて止まないのは病んでるとしか言えない。
しかし、魂は試練を求めていることがあるそうです。
魂を磨きたい、魂のレベルを上げたいと願うから人生の学びをするために厳しい現実を引き寄せてしまうことも。
本人としては「楽しく面白く愉快に豊かに生きたいと思っているのに、なぜかの過酷な人生を歩んでしまっているのだろう〜?!」と思ってる人は原因はこれのせいらしいです。
これを知ってからは厳し過ぎる人生を生きる人をみると、『魂磨きに余念が無いのね〜』と数命士恭ちゃんはそう思います。
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