変な話だけれど

斎藤一人サンが仰っていた。

「ご先祖様は仏様になられたんですよね。そして、お経は仏様の教えです。
お墓やお仏壇でお経をあげることは仏様の教えを仏様に向かって言っていることに他ならない。
よく、考えたらおかしな行動ですよね」と。

本当だ!
目から鱗って言うか・・・

私が家庭教師に言って、私が教えたことを生徒が私に向かって教えようとしたら私は間違い無く言う!

「私は知ってるよ!
だって、私が教えたことだよ!」と。

確かに私は今まで何の疑いも無く、下手なお経を毎朝あげていた。
お墓でも声高らかに。

きっと、ご先祖様は「知ってる!!ちゅ〜に」と突っ込まれていたかも?

お経をあげればご先祖サンが成仏されると聞いた!
お線香を灯せばご先祖サンは喜ばれると。
シキビの葉っぱはあの世のお金だから、お供えするとご先祖様のお小遣いになると。

へんてこりんな話よね。
ご先祖様は戒名を頂かれ、私なんかとは違うほんまモノのご住職様のお経で送られた筈。
仏様になられているのよね。

その仏様に下手な般若心経をあげ続ける私は滑稽でしかない!

斎藤一人サンの的を得たお話をきいてから悶々としつつ、習慣となっている私は般若心経を止めることに躊躇いを覚えていた。

しかし、だったら三回忌や七回忌にご住職にお経をあげてもらうことも変なことになりますよね。
もはや、仏様!!

しかし、修練を踏まえてのご住職のお経は仏様になられた後であったとしても喜ばしいものなのかな?とか。

一流のアーティストとでも他のアーティストの曲を聴きたいことも勿論あるもんね。
もしかしたら、私の司会者発声の般若心経も仏様には斬新かもしれない!!と思うことにしました(笑)

お墓もお仏壇も実は生きている者たちのためにあるのかもしれないしね。
心を内にする場所と時間を提供してもらえる場所。

そう思って今日もお墓掃除をしてきました。


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