共通認識
『李下に冠を正さず』は漢文で習いましたよね。
懐かしい〜
「スモモの木の下で冠をかぶり直そうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという」教えですよね。
私が二十代の頃にヘアーサロンをご夫婦で経営をされていたお家に家庭教師に行っていました。
三階建ての豪華なお家でエレベーターでお子さんのお部屋に行っていた。
そこのお父様は常にお子さん達に『李下に冠を正さず』の教えをコンコンと叩き込んでおられました。
「もし、友達数人と一緒に居る時に誰かが万引きでもしたとする。
すると、世間の人が噂する時に人間は共通認識を好むからウチのように商売をしている家の子供の名前を出す。
「どこかの中学生が万引きしていた」では無く、「A美容室の子供らが万引きしたらしいで」の方が噂話としては具体的で盛り上がる。
だから、商売をしている家の子供は名前が出されやすいから他の子以上に気を付けて生きないといけない!」と。
それはもう本当に厳しく教え込まれていた。
万引きをしていなくても、一緒に居ただけなのに首謀者にされてしまう。
一緒に居なくても仲良く日頃からツルんでいるだけで噂が一人歩きすることすらあるからお父様の懸念も一理ある。
その子は学校帰りは常に1人で下校をしていたし、塾や習い事も行かずに家庭教師を呼び、放課後に友達と遊ぶことも避けていた。
淋しそうというよりは窮屈そうにみえたけれど、お父様の教えを素直に守っていた。
その甲斐あって順調に学生になって地元から離れた。
火の無い所に煙は立たない!とは言うけれど、時に噂の放火魔も存在する。
全く火の無い所にも火種は持ち込まれることもある。
この混沌としたご時世。
SNSで一気に広がると連想ゲームのように話は変換され、有りもしない話の拡散も有り得る。
李下に冠を正さず!位では足りないのかもしれないな?と思うが。
それでもガードは固める方が無難なのかもしれないなぁ〜と思う。
コメント
コメントを投稿