残るもの
開運アドバイザーで有名な崔先生がひすいこたろうサンのBar名言セラピーに出演された時のYoutubeを何回も視聴させてもらったのですが。
その中で崔先生が師匠から教わった話として仰っていた。
「数える単位は残るモノになぞらえている。
牛や馬は◯匹と数えず、◯頭と数える。それは身を頂いたあとに頭が残るから。
鶏を◯匹と数えず、◯羽と数えるのは身を頂いたあとに羽が残るから。
人間の数える単位は◯名。それは、死んだあとに名が残る。
神様は◯柱と数える。
それは神様が我々の心に支えを残して下さるからと」
なるほどなぁ〜と感心しきりでしょう。
そう言えば、あれは20歳半ばの頃に福井県のとあるお寺で法話を聴いた時の話に通じる。
昔は養豚や牛を捌く人達は豚や牛の『頭』に手を合わせて葬った。
養鶏をされる人達は鶏の『羽』に手を合わせて葬った。
人間は戒『名』を付けて葬る。
それ位に生きている時は名を大切にするものです。
"死んで名を残す"
それ位に生き様は名前という形で残っていくものだという諺の如く。
姓名判断をはじめた頃にこの法話を思い出して、姓名というものは本当に意義のあるものなんだなぁ〜と思ったことを崔先生の話から思い出しました。
色んな鑑定方法があるけれど、私が姓名に拘るのはここに原点があるのかもしれませんね。
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