人の見方

かなり前に聞いた話です。

さだまさしサンの『♪償い』の曲を聴いて、ふと思い出した話。

その昔ね。
ある男性が夕方に交通事故を起こして、横断していた児童を跳ねてしまって、児童は亡くなってしまった。

その後、その男性は結婚をして男の子を3人授かった。

そして、子供達がスポーツをしているから大きなワゴン車を乗り、自分の子供をはじめ、周囲のお子さん達を乗せてあげている。

これに関して、私は2通りの意見を耳にした。

「事故を起こしておいて、あんな大きな高価な車に乗って、よその子供まで乗せて、どういう神経してるんや!
子供を亡くした親が見掛けたら、どんなにか腹立だしいことか?!」

「自分がしたことの償いのために、子供の同級生達をスポーツの送迎などをしてボランティアしてる!
そのために大きなワゴン車まで買って
素晴らしい心掛けや!」

全く正反対の意見。
片や悪く言ってる。
片や褒めている。

同じ人の同じ行動に対して。

本当に人は同じ事象を全く違う角度から捉えている。

本人に真偽は聞かないと分からないことだけれど。
人のモノの見方って人次第

それを見た人の思考の色眼鏡で見るからね。

運転をしている人なら、誰しもドキっとすることや、事故った経験のある人も居るでしょう。
悪気は無いけれども車の怖さを知っているから同情的な受け取り方をする場合もある。
絶対に事故は起こさない!なんて誰も言い切れない。
気を付けてはいたとしても。

また、身近な人を交通事故で失っている人なら厳しい目で見ることもあるかもしれない。

真実は本人にしか分からない。
もしかしたら、事故のことなんか忘れて大きな車を買ってブイブイかもしれないし、償いの行動かもしれない。

交通事故死という重大ごとでも、全く正反対に評価が出るのならば、人は人の噂や言葉に一喜一憂する必要は無いのかもしれない。

人の見方なんて、アテにはならない!

人の見方よりも自分自身のモノの見方に重きを置くべきなのかもしれない。






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