学びが違う
とっても良いご夫婦でお子さんを望んでいらっしゃったけれど出来ないままで、今は老夫婦になられた2人
人格的にも素晴らしく、良い子育てをされるだろうなぁ〜と思うのに授からないままでした
かたや、私の知ってる女性は破綻している
仕事もしなければ、家事も何もせずに毎日怠惰な暮らし
子供も欲しく無かったのに出来たけれど全くの放置
見兼ねた祖父母が育てられたけれど、その孫も働かずに祖父母の財を食いつぶしているだけ
何もせずに老両親に洗濯も掃除も食事も子育ても任せて、日々ゲームやネットショッピングで食べて、動かないから肥りまくり
昔は思っていた
神様も罪なことをされる
あのご両親が子育てすれば、世の中に貢献するような良いお子さんを育てられるだろう
そして、あの怠惰な人の元に生まれたお子さんは母親から「子供なんか欲しく無かった」と言われ続けて放置
祖父母は一生懸命子育てをされてはいたが親の姿を見て怠惰な子供が育ってしまった
これ、なぜに反対に成らなかったんだろう?と
しかし、最近は思うようになった
学びが違うんだろうなぁ〜
人格者のご夫婦は子育てをする学びはもはや無いのだろうなぁーと
そして、本来は怠惰に生きている女性にこそ子育ての学びが必要だから、お子さんを与えられた
しかし、見兼ねた祖父母が手を出してしまったから、その女性の学びを奪ってしまったのかもしれない
しかし、あの女性ならば祖父母が手を出さなければ命の危機だった
それ位に酷い暮らしぶり
しかし、例えそうであっても祖父母もいつかは先に逝かれる
その時にはその女性には学びが訪れるのかもしれない
やはり、与えられた因果律は学びに必要な課題が用意されているのだろう!と思います
コメント
コメントを投稿