数命判断は鏡を見るようなもの
人生の分岐点は大小取り混ぜて日々やってきますよね。
望まずしても…
そこで迷われる。
そして、ご相談を受けることも多い。
道は幾通りもある。
どの道を選ぶかは本人の自由。
だから、勝手に人の步む道を指し示すことはしてはいけないこと。
あくまでも選択はその人。
でも、案外自分のことって分かり難い。
服装のコーディネートで喩えれば、自分では自らの姿も部分的にしか見えない。
鏡に映してはじめて客観視出来るもの。
器用な人はウインドウガラスでチェックしたり、感覚で上手く捉えたり。
また、コーディネートしてくれるパートナーが居る人はいい(パートナーのセンスが良ければのことだケド(笑))
でも、鏡に映してみて分かることも…
同様に自分のことは客観視は難しい。
その鏡の役目をする一つの手段として数命判断も有ると考えています!
鏡が「ちょっと、そのコーデはイケてませんがな~」とは言わない。
鏡とケンカになる人も出るかも?
鏡を見て、どう判断するかは本人次第。
鏡としてのお役目を出過ぎず、奢らず、燻まず、曇らずを心に止めてはいます。
でも、『光の差し方』によっては映り映えは違うはず。
そこのところは恭ちゃんライティングの腕ってとこかな?
神様のご神体に『鏡』というのも深いなぁ~と常に思います。
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