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8月, 2022の投稿を表示しています

受け継ぐ

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例えば、お父様やお祖父様の 一文字 を貰って名付けされている方って有りますよね。 長男の方に有りがち。 その場合は『 運や魂を受け継ぐ 』と。 家を継ぐ、家業を継ぐ。 更には田畑や地元を守るとか、町や村の伝統行事を守るお役目が来たり、更には地元の政治家になる方も。 名前を通して、その方の 心意気 や 大切なもの を受け継ぐ場合も多いようです。 また、ご先祖様の 一文字 を付けられる場合などはご先祖様から 家の再興 や 名声 を願われてるということもあります。 そのお家に生まれたということは何かしらのご縁があるということですものね。 単に 一文字 貰っただけと思っていたら、大きな『 想い 』を託されていたなんて結果もあります(*^^*)

数奇な運命

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1,名字の画数を数える 2,名前の画数を数える もしかして イコール になりませんでしたか? なった? そんな貴方は『 数奇な運命を辿る 』と業界では言います(良い意味で)。 確かに、私の周囲でもイコールの女性はとても素敵なアーティストサン。 ミステリアスな魅力と可愛らしさ溢れて憧れちゃう。 才能が凄まじく開花で未来が予知出来ない感じ。 きっと、 数奇な運命 なんだろうな〜と密かに楽しみに観察してるもんね。

エールを送る

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以前は『 姓名判断 』の結果を報告する時に多少マイルドに言ってる時期があった。 勿論、悪い結果に限りだけれどね。 イベント等で主宰者側の意向でね 楽しもうと参加したイベントで悪い結果 をサクサク言われたら、誰しも気分の良いモノでは無い。 まぁ、それはそーよね?! しかし、私オリジナルの『 数命判断 』を追加してからは、正直に結果を伝えてる。 聞きあたりの良い言葉は言うこちら側としても、言い易いし楽よ。 けどね、それって失礼な事! 厳しく険しい人生でも、生き抜いて乗り越えてる方に「ラッキーな人生です」って言うのって何か違うよなーと。 ちゃんと告げて、寧ろ「 頑張ってこられましたね 」と労うべき。 そして、「波乱万丈な人生でも、それをも楽しんで生き抜いて下さい」とエールを送りたいと。 バサッと辛辣に切っちゃうことも有りますがきちんと誠実に込めて向き合おうと。 皆さん! そーいうことになってますペコッ

数命判断のnewアイテム

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この夏休みの間に 数命判断 の研鑽を更に積みました。 この世の中は全て 数字 で出来ている。 マトリックスみたいに… 番地も電話番号も番地も。 マイナンバーや保険証ナンバーに免許証ナンバー。 クラスや出席番号、受験番号や成績表。 スポーツでも数字の勝負。 演技すら点数化される。 芸術作品でもプライスレスと言いつつ、値段で数字化。 ありとあらゆるモノが 数字 として表せる。 私も 姓名判断 でも 数字 で読み込んで鑑定しています。 それならば、と、The数字の 生年月日の『数命』 も新アイテムとして追加です。 数命アフターの時にプラス していきます! 本日の 数命アフター より解禁(*^^)v

人生を味わう

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『 生きるということは人生を味わうこと 』という文章にガッンときました! そうなのよね~。 悲喜こもごもに振り回されるんじゃなくって、 味わい尽くす と思えば波瀾万丈な人生の方が俄然味わい深いものよね。 そうなると、 数命判断 の結果も捉え方次第か?! 逆境に立たされたなら、人生というドラマの見せ場真っ只中。 見せ場の演じ方次第で味わい深いドラマを作り上げられるのよね。 ピンチも何も無いドラマは面白くないもんね。 つまらん!! これからは『 数命判断 』で波瀾万丈な人には「いいドラマの主役に抜擢されましたね~」と言うのも有りかもしれないね~(^_-)-

ジェンダーな名前

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男性にも女性にも使われるお名前って有りますよね。 例えば「坂上忍」さんや「大竹しのぶ」さんという『 しのぶ 』といったお名前。 昔から『 てるみ 』さんや『 あけみ 』さんって男性も女性もいらっしゃいます。 高校野球を観ていても キラキラネーム の多用でジェンダーなお名前が沢山。 『 ひなた 』さんや『 あゆみ 』さん『 ひかる 』さんなどなど。 こういうXジェンダーな名前の方は 姓名判断業界 では「 ドラマチックな人生 」であると言われています。 しかし、昨今のお子さんのお名前は読めない上に、男女の判別すら出来ません。 そーなると、近頃のお子さんは オールドラマチック ちゅーことになるわな〜・・ ドラマチッカーズな時代とするか、姓名判断業界としては見直すべきか? 悩みどころではあります。 (捕捉:動物プランクトンなのに光合成をする「ミドリムシ」の映像のチョイスした恭ちゃんの思いを忖度してね(*^^*))

波瀾万丈の人生数命判断

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最近、多くの方の『 数命判断 』をさせてもらって感じること。 凄まじい波乱万丈の人生の方ほど明るく清々しい。 そして、人への思いやりがある。 それに反して、恵まれている人ほど、不平不満だらけ。 私から見て、取るに足りない程の事に怒り心頭。 不思議なものです。 事故現場で重症の人が「大丈夫だから他の人を先に」と言い、逆剥け位の人が「痛い!自分を先に治療して!」と言ってるよう。 『 数命判断 』をすればする程に学ばせて頂く事が多い。 人の表面的なことでは無く、深いところを見せてもらってる。 まだまだ、学ぶことは有るのだろうけど、今のところ感じていることは・・・ 「みんな、幸せになりたいんだな。ただ、それだけなんだろうな」と。 貴方の前に居る嫌なこと言う人も勝手放題の人も狡い人も、みんな幸せになりたいだけなんだろうな?と。 私も未だ未だですが、 数命判断 をさせて頂く時は厳しい事も告げるけれど、それでも優しく包み込む気持ちだけは持っておこうと、 そう思ってます(*^^*)

情意投合

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数命判断 の鑑定をしていて、次から次へと言葉が湧いてきて、伝えなくっちゃ!!と思う方が続出。 そうかと思えば、滅多に無いのですが、何ら湧いて来ないって言うか、ありきたりだなぁ~という内容に終始する方が稀に出る。 そのことに関して、自分の能力が不足してるのか? ブレてるのかな~? と自問自答していました! 滝にでも打たれるか。 アルコール絶つか。(絶つ程には飲めないが) このことに関して友達から明言を頂きました! 「それは 相手の問題 だよ!」 「相手側が ブロック してるかどーかだよ。 見られることを拒んでるから感じ取れないんだ!」的な言葉を。 ほぉ~ほぉ~ すとーんと腑に落ちたょ! そーか、そーいうことか。 滝に打たれずともオッケーだね。 ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶バンザイ 数命判断 をご依頼の方は意識を私へタダ漏れ状態にヨロシク(笑)

横顔

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司会者;恭ちゃんの時々使うコメントのフレーズに「新郎(or新婦)の『 横顔 』をご紹介頂くスピーチを有難うございました」と。 イケメンの渋い新郎が幽霊が怖くて夜のトイレにビビるとか。 強面のイカツい新郎が「フランダースの犬」を観て大号泣とか。 普段の人柄からは到底イメージ出来ない意外性の部分を「 横顔 」と称しているのですが… 「 横顔 」って、実際の顔でも見ることも少なく無防備なところ。 写真の我が横顔に仰け反ることも。 「これ?私?」みたいな(;¬_¬) それと同様に自分の『 横顔の部分 』って無自覚よね? 録音した自分の声に違和感を感じるのと同じかな?(司会者恭ちゃんは同一に聴き取れるけどね) お友達と一緒に『 数命判断 』に来られている時に、本人だけが「それは違います」って言う隣で友人は「いいえ、その通りです。ピッタリ当たってます!言われる通りのキャラです!」 と友達異口同音ってことも多い(笑) なかなか、分かっているようで分かって無いのが『人から見えてる自分』なのかもしれない。 それが『 横顔 』の部分なのかも? 私も「押しが弱くて…」って思ってますからね(笑) さぁ、格好いい 横顔 になろう~!!

高校野球決勝より

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高校野球好きなので毎日観ていました! 今日の決勝の結果が出た時に実況アナウンサーが口にされた台詞。 「 強いチームが勝つというより、勝ったチームが強い! 」 確かに。 これを言い換えれば… 「 運の良い人が幸せになるというより、幸せになった人が強運 」と同様よね。 ならば、 先取りしてもオッケー なはず。 とにかく、「 幸せだ 」「 恵まれてる 」「 ツイてる 」「 ラッキーだ 」と 先取りして言う 。 そうすれば、自ずと 運がついてくる。 その結果、きっちりと 幸せになる。 辛い時も、苦しい時も、嫌な日々でも、言葉から入る! アウトドアスボーツを服装や道具の 形 から入る人が多いのと同じ。 先ずは、「 幸せだ! 」という言葉から(*^^)v

過去へ渡る橋

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「 過去へ渡る橋があるなら渡りますか? 」 昔に尋ねられたことが有ります。 昔の私は「渡ってあの時からやり直したい!」とか 「あの人に会う前に戻りたい!」って即答してました! 振り返るとあの 分岐点 で躓いたなぁ~という選択があります。 でも、今なら「 渡りません! 」 その 分岐点 で違う道を選んでいたとしても、あの当時の私は 形を変えて 同じようなことをやらかしていたと思います。 あの時の 私の意識レベル なら右を選んでも左を選んでも同様のことしか起こらなかったと思います。 やらかしたり、学んだり、反省したり、そんな色々なことがあっての 今 です。 プロセスは色々あったにしても必要な時に必要な出来事が有り、出会うべき人に巡り合って今の私が有るんですものね。 そう思うと、 全ては自分に相応しいことが起こる。 いや、 相応しいことしか起こらない。 それが、嫌なら 自らの意識レベルを上げる しか無いですものね。 これから 渡る未来の橋 を少しでも良いものに出来るように 今を生きる 。 それに尽きますね(*^^*)

数命判断の核心

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【あなたのイイところを探したい】 それが『 数命判断 』の核心です! そうは言っても、途轍もなく悪い運命を背負ってきている人もいて、捜し倦ねる時も有ります。 それでも、そんなに過酷で厳しい運命だとしても、そんな人生を選んで生まれてきたあなたの運命をプログラミングしてきたデータの込められた姓名を謎解きすることで『 温かい肯定のサイン 』を見つけ出していきましょう~と。 そこには必ず今世における 生きる意義 や 使命 といったものがあるはず。 過酷であれば有るほど 高いハードルを越える 目的の尊い今世。 数命判断でエールを送ります!!

ダウンシフト

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減速生活 のことをそう言うらしい。 「過度な競争や荷重労働、物質主義的な生活環境を日常から排し、よりゆとりのあるストレスの少ない生活に切り替える生活リズムの劇的な変化」とある。 正に今年はそれ! 数命判断 では 流年表 を作り年ごと、月ごとの運気をみます。 私は今年は 運気的に積極的に攻めずにディフェンス の年。 ゆっくりと 整え たり。 焦らずに 今後に備えて 充電期間。 私自身を鑑定すると『 過労死 』の最期と分かっているから(笑) もう少しだけ、今世をゆっくりさせてもらうためにも ダウンシフト も大切(*^^*)

転生

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数命判断 のお弟子さん用のテキストを作っていて、以前からぼんやりと湧いていた考えが明確になりました。 それは、私は 転生 はあると考えます。 生まれ変わりということです。 前世や過去生があると思っています。 これには様々な意見も有るとは思いますが、私は夢で同じ状況を繰り返しみていましたので幼い頃から自然とそれを過去生だと認識していました。 生まれながらに素晴らしい才能のある人は過去生でそれをやっていた経験があるからだと考えると腑に落ちますよね。 魂 はずっと一緒なのです。 車を乗り換える ように、生まれ変わる時に どの肉体のところへ入る か?ってことですよね。 親を選んで生まれ入るという説も有りますが、 数命判断 では違うと考えます。 過去生 で 魂が味わった ことと同じようなことがあった 先祖 のお家に生まれる。 例えば過去生で迫害されたら、迫害されて辛かった先祖のいるお家に生まれる。 政略結婚でお互いを憎しみながら別れられなかった魂は同じような憎しみながら添い遂げた先祖の元の子孫として生まれる。 過去生で子供を捨てたら、子供を手放した家系の元に生まれてくる。 それはなぜか?と尋ねられたら、多くの人を鑑定してきて、結果導き出した結論だとしか言えませんが… それを一言で言うなら 因縁 というものでしょうか。 何かしら、そのことによって学びがあったり、 因縁の解消 が起こったりするのかもしれませんね。 これは間違いの無いことのように確信しています。

運命(さだめ)の河

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誰しも一度は渡るのよね。 その河を渡る日まで続く旅路。 生まれた時に本人は果てしない旅の始まりに「嫌だ嫌だ」と泣き叫ぶ。 それとは裏腹に周りの人は「これから肉体を得たから 魂を磨ける修行 が出来て良かったね」とおめでとうと言う。 みんなは「覚えて無い」と言うが、実のところは忘れたふりをしてるだけよね? 私は今も覚えてる。 生まれる前に「嫌だ!生まれたく無い!辛さのはじまりだ」と憂鬱だった。 本当に心の底から嫌だった。 その記憶が今も有る。 気が遠くなるような絶望感に包まれた。 やりたく無いバンジージャンプに背中を無理矢理押されたようなもの。 確かに、予想通りの過酷なものだった! でも、やっと最近は思う。 人との出逢いだけはラッキーだった。 私の傍には良き友達が居てくれる。 運命の河を渡るまでは一緒に泣いたり、笑ったりもう少しするかな~(笑) お盆に感じたことです。

魂の使命

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数命判断 では『 姓名 』の中に込められている『 魂の使命 』を読み解く事が出来ます。 告げた『 使命 』が抽象的な場合。 そういうことを普段から意識して生きてる方には府に落ち易い。 しかし、漫然と生きていたり、目先の欲だけに囚われて生きていたりすると、意識上に上がってくることも無いようです。 依って、告げた『 使命 』にもピーンと来ない。 ここが 数命判断 で難しいところだなぁと最近沁々と実感しています。 自分の姓名に向かって質問を投げ掛けてみて下さい。 「自分のお役目って何なんだろー?」と。 そういう時間って大切だと思うの。 普段から意識していたら、 「お知らせ」や「シンクロ」という標にも敏感に察知出来るのでは無いかな?と。

人生という商売

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【 気楽なもんさ 、 人生なんて商売は ♪】 そんな風に言えるようになりたいなぁ~とこの歌詞を聴く度に想ってた20歳代。 先輩が言われてた言葉。 「女って20才代、30才代はしんどかったけれど、40才代になったら楽になって、 50歳代 は更に楽になるよ~」と。 確かに、実感出来ます。 イイ人はいないのか? 結婚をしないのか? 子供はまだか? 2人目はまだか? 男の子の跡取りを産んでくれないのか? こんな無責任な言葉を有りと有らゆる人から当たり前のように掛けられ続けてきた若かりし時代。 これを過ぎると腫れ物に触るようにピタリと止まるのが40歳代半ば位からだと。 言葉は無くなったとしても妙な哀れみ的な配慮のオーラを醸し出してくる人も要るには要るが・・・ 外的状況は変わらなくっても、寧ろ過酷になったとしても、心持ちや世間からの様々なプレッシャーからは解き放たれて楽になれるのが40歳代位からとも言われる。 開き直りとも言うのかもしれないが… 付き合っていく人も本当に楽に過ごせる人や一緒に楽しめる人に厳選されていくし、よく笑えるようになってくる世代。 『 人生なんて商売も気楽になってきてこそ 』楽しめるってものよね。

除けの十カ条

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以前に古民家から今の家にお引っ越しをした時に 神事を司って 下さったおじいさんから教えてもらったこと。 人は生きていると色々ある。 時には信じられないようなことも起こる。 魔が入るとか よくないモノが取り憑くとか。 そういう時は何となく 体が重い、やる気が失せる、不運が続く… などのドンヨリとした感じになると。 そういう時の 対処法十カ条 を教えてもらったので、ご紹介しておきます。 ①玄関を清潔にする ②塩風呂に入る ③氏神様にお参りする ④お香を焚く ⑤古くて着ない服や靴を処分 ⑥お墓参りやお墓掃除をする  ⑦丑三つ時(夜中2時位)に起きていない ⑧部屋の換気をする ⑨甕や壺を空っぽで上向きに置かない ⑩無闇に石を触ったり拾ってきたりしない これは守っています。 皆さんも、万が一の不穏な感じで不調の時はこの 十カ条 を気を付けてみて下さいね!

塩の言い伝え

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母の実家の方での言い伝え。 『 塩を切らしたら運気が下がって貧乏まっしぐら! 』 つまりは家庭で一日たりとも 塩を切らして はいけないという掟があります。 この言い伝えは 武士 の生き様から来ているのかもしれませんよね。 武士にとっての最終最後の生命線は 塩 だと言われますよね。 姫路城 にも 塩櫓 が作られていた話は有名。 城での緊急事態の 籠城対策 として必須は 水と塩の確保 のために姫路城の 城内には井戸が掘られ、塩櫓 が作られていたのは現存 。 ( 「ハの渡櫓」「二の渡櫓」が正式名 ) こういうところから派生しているのかもしれませんが、 塩を切らしたら 一巻の終わりと今も言い伝えられています。 是非、皆さんも 塩 を切らさぬよう宜しく!

不思議な能力

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昨日、叔母がやって来まして懐かしい話となりました。 実は私の大伯父で私が生まれて間もなくに亡くなられていたので出会ったことは無い人なんですが、 不思議な力 のある人だったそうです。 叔母も出産後に母乳が出なくて激痛に苦しみ、手術をと言われたけれど祖母の推しでその大伯父の 不思議な力 に頼ることにしたらしい。 普通に椅子座わると、ナイフで空を切り呪文らしいものを呟かれた途端に叔母は母乳が溢れるように出て来てビックリしたと。 この大伯父は晩年(50年位前)はこんなことで病気や怪我や人間関係のトラブルを 不思議な力 で多くの人を助けていたとか。 毎日のように多くの人が尋ねて来て行列だったそうです。 未だ未だ医学も発展しておらず、田舎のことだったから重宝されていたと。 この話を聞いて、この大伯父さんの能力を 伝授しておいて欲しかった なぁ~と。 このお家はダムの立ち退きで引っ越しされているので、その時に大伯父の持ち物なども全て処分してしまっているらしくて何も残っていないと。 伝授してもらう術も何も無いけれど、そのお家のあった場所は結局はダムの底には沈まなかった。 一度、そのお家のあった場所を尋ねてみようかな?と思います。 ダムの立ち退きの引っ越し前に私が4歳位の頃に訪れた時に不思議な建物だったという記憶があります。 その建物の特徴を言うと母も叔母も「よく、覚えているねー!」と。 あんな不思議な建物は今だに見たことが無いので印象深い。 千と千尋の神隠しのような建物。 今度、尋ねてきます! 近くに神社もある。 この8月のうちに尋ねてきてご報告をしたいと思います。 その場所に何かしらの 磁場 かも?しれませんものね。 何かを感じて来たいと思います。

明日は買えない

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『どんなに働いても、 明日は買えない 』という曲のフレーズが耳に残った。 本当に。 明日のことは分からない。 先のことは分からない。 でも、『今』の意識が明日を呼び、未来を呼び寄せると… お金持ちだからといっても 明日は買えない し、地位や名誉があっても同じこと。 そこのところは平等。 コネも忖度も何も無い。 そう思えば、眠れない位の悔しさがあったとしても… 手が震える位の怒りを覚えたとしても… 切なさや虚しさを感じたとしても… 明日は来る。 明日は今日よりほんの少しはマシかもしれない。 明日になれば、人の優しさに触れられるかもしれない。 少し、少しだけでも楽になれるかもしれないよね。 そんな明日は来る。

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ナス科なのに有毒で食べられない。 イヌホオズキ。 花言葉は『 嘘 』。 嘘 が悪い訳では無いと思う。 嘘 も方便。 優しい 嘘 。 人間関係の潤滑油。 嘘 が100%ダメなら映画もドラマも小説すら虚構モノは全てアウトとなる。 サンタクロースも昔話も夢の有る 嘘 。 残念な容姿の赤ちゃんにも「可愛い」と心にも無いことを言うのも 嘘と言えば嘘 。 私もこの類の嘘は時々は…(笑) でもね、思うのです。 「空気を読む」「人を傷つけない」「言う必要の無いことを黙る」というのと… 自分を守るために 嘘をつき続ける うちに、 嘘 をついていることすら自覚無く呼吸するように 嘘八億 を並べるのと…では。 大違いですよね?! 人を欺く 嘘 がいつの間にか知らず知らずのうちに自分にまで 嘘 をついている始末。 そんな人が安心感を与えられるのだろうか? 分かる人には分かるはず。 数命判断 で 運命鑑定 をさせて頂くに従って本音勝負の大切さを実感!! 人の運命に関わるような仕事に携わる人間は特に心しておくべきことだと思う。 一昨年位から八方美人も卒業をして、嫌なことには臆することなくハッキリと『嫌だ!』と伝える。 楽しくも無いのに顔を出したり、お付き合いで無理をして参加したりを辞める。 はじめは不安でしたが… 本音のオーラを纏える人になりたい。 そう、思って 嘘 ばかりの毎日をやめてスッキリです(*^^)v

人生のタイトルが姓名

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『 姓名 』ってね、何十年、人によっては百年超えの各々の人の"人生 ストーリー"の『 タイトル 』だと思うのね。 タイタニック号の映画の題名が『タイタニック』と付くように。 (例えが古かった?!) ドラえもんやトトロが主役の映画の題名に『タイタニック』は絶対にあり得ない。 だから、貴方の『 姓名 』が題名のストーリーのシナリオは貴方が輝くように大筋は描かれている筈。 あとは主演の貴方がいかに楽しく、魅力的に演じるか?! そこは本人自身の腕の見せどころ(*^O^*) そして、やはり『 題名 ( 姓名 )もキャッチーじゃなくっちゃね。 名付けってやはり大事。 でもって、貴方人生の映画もハッピーエンドが良いよね。 そのためにも、貴方のシナリオの謎解きアドバイスをするのが『 数命判断 』だと思うんだ! 恭ちゃん、ええこと言うな〜(自画自賛(笑))

福みくじ(おみくじ)

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本日は 数命判断アフター で 『恭ちゃんと行くパワースポットの旅』 を開催しました。 以前はよく開催していたのですが、コロナ禍もあり、最近はご無沙汰でした。 今回はたってのご希望で『 元伊勢外宮様 』『 元伊勢内宮様 』『 天の岩戸神社様 』をぐるっと回るセットのコース。 恭ちゃんはこの元伊勢様の傍にあるウェディングレストランに今から20年前に専属司会にも毎週末には行っておりました。 そして、福知山では毎回の全ての選挙のウグイス嬢にも何十年と行かせて頂き、ご縁の深い土地です。 だから、秘密のパワースポットにも詳しいのです(*^^)v さて、本日の本題に。 皆さんは 福みくじ(おみくじ) を引かれることはありますか? 単に大吉だ!吉だ!と運試しのように勘違いをされている方が有りますが… 皆さんはどうですか? 最初に 元伊勢様 にお連れ下さったパワースポットに詳しい方から教えて頂きました。 おみくじ は神様からのメッセージです。 だから、ご参拝する時に 神様にお尋ねしたいことを呟きます。 (周囲に人がいらっしゃる時は心の中で呟きましょうね(笑)) その時に「 おみくじを頂きますので、お答えを下さい 」と。 そして、はじめに書かれている おみくじ の 言葉 をしっかりと読み、お尋ねしていた 項目 の部分を注視します。 そして、ここからは私のやり方ですが、 おみくじ をお財布か携帯ケースに入れておき、直ぐに目を通せるようにしています。 木の枝に結ぶのが一般的ですが、私としては 神様にお尋ねしたお返事 を置いては帰れません。 良い言葉であろうと、厳しい言葉であろうと神様からの大切なお返事 ですから。 そして、 トンド焼き(ドンド焼き)の時に感謝を込めて納めます 。 このブログを読んで下さっている皆さんにお伝えしておくとね、 元伊勢様の外宮 (福知山市大江)の おみくじ のお返事はお見事です。 毎回、私のお尋ねしたことに 絶妙のお返事 でその通りのことが起こります。 だから、悶々とした時や自分の努力だけではどうすることも出来ない時はこちらへ お答え を求めて参拝します。 私調べでは100%完璧です。 今日ご参加の 数命判断アフターのメンバー全員に ご指南させて頂きました。 皆さんも納得のようでした。 なかなかの有意...

変容

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私のお気に入りは 蝶々 ほブレスレット! 4色を愛用🦋 これを着けていると、とある神様ごとを司る尊敬する方が仰いました。 『 蝶はいいですね。蝶は変容の証ですからね』 と。 制作者のアーティストの友と同じことを仰いました。 そう、元はイモムシだったのが、蛹(さなぎ)になって、中ではドロドロに溶けて、それから蝶になる。  不思議ですよね。 さなぎの段階で全く 死んだか のようにどろどろに溶ける。 そこからあの派手やかな自由に飛べる羽や手足が作られるとは生命の不思議そのものです。 しかし、ここから学べることがある。 私も含め、休むことが不安になる傾向の人がいますよね。 止まると死ぬ!とか。 回遊魚なんです!とか。 そう言って、いつもジタバタしている人がいらっしゃいますよね。 私もその類そのもの。 確かに頑張り屋だったり、休むことが怠けることに罪悪感を感じる人が居る。 いわゆる 休みベタ。 しかし、 休むことも大切 。 変容 するためにはどろどろになり、死んだかのような時期が必要。 蝶にとっての人生一大変化の時と同様。 休まないと 変容 は有り得ない! 蛹の中で休むからこその 大変容 。 経済的なことも有るから無責任には言えませんが、本気で 変わりたい!変わらないといけない! と思うなら、 立ち止まる ことも大切。 そして、今後はどうなりたいか?どう有りたいか? そんなことを考えて立ち止まる期間も後々になれば、良かったなぁ~と思える。 旅をする。 ゆっくりとやりたいことをやる。 時間に追われず癒される。 やりたくて出来ていないことをやる。 そんな時間も無駄にはならない(*^^)v

数命判断を大井戸の向かいにて

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あれは小学6年の遠足。 なぜかの初の試みで『 大井戸山 』を越えてへ中区の牧野の大池まで。 それは小学生には無謀な道のりでした。 行きは登りですから、予想以上に大幅に時間要したが何とか辿り着きました。 ところが、問題は帰り道。 激しい岩だらけの山。 遠足だから普通のズックに軽装。 千ケ峰と違って登山道も無いような険しさ。 山を下る時に転んだり、膝を怪我をして血を流してる同級生続出。 足はマメだらけで全員ボロボロ。 友人の何人かは診療所行き。 私も膝から流血でしたが泣かずに我慢を。 しかし、膝に今も傷が残ってます。 これが無かったら脚タレになってたやも?! おいおい(笑) 今だったら保護者が学校に乗り込み大騒ぎでしょうが、当時は我慢する時代。 それでも、あれ以来この過酷な遠足は封印されて最初で最後の行事に。 血だらけで帰宅してる私を見掛けた近所の人が「小学生に大井戸山登山なんて有り得ない」と。 いや、遠足だったんだけれど…(;^_^A その時に思いました。 指導者は責任重大! 私の脚タレの道を妨げたように、(もう、それはええって?!(笑)) 登山 を人生に喩えるならば、 数命判断 を含め人の人生の深いところに関わるにはそれなりの覚悟と経験が必要だなぁ!と。 アドバイスはしたとしても、他人の 人生の登山計画を立てる域 には立ち入らない! それを決めるのは ご本人 なんだから。 ついつい必死になってしまいがちの私。 未来を指図するようなことにはならないようにと大井戸山を眺めて思った。 あの血だらけで泣きまくってる同級生達の様子を思い出し自戒を込めて。

逆張り

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業界用語で 逆張り ってのが有るらしい。 敢えての相場の流れに逆らって動くスタンスのこと。 当たれば大きいって賭けよね。 ハイリスクハイリターンってやつ?! 生き様としても『 逆張り 』はあるよね?! しかし、 逆張り をしょう!ときちんと計算出来てこその 狙い 。 結果的に逆張りが致命的な落とし穴ともなり得る。 『 有りたい未来の自分 』を決めての決意と行動でいかないと「こんな筈じゃ無かった!」となってしまう。 振り返ってみれは、私の人生は今までは『 逆張り 』ばかりだったような・・・ だから、頑張った割には報われない。 ブームの終わった職にばかり就くということはズバリ金銭的には報われない。 司会業も先輩方はバブル時代の羽振りの良さを語られる。 ご両家だけでなく単なる出席者からお祝儀の嵐だったらしい。 私達世代のオンリーワン婚礼で有りと有らゆる創意工夫に気を配っての綿密さと反してお祝儀は消え去り、低価格競争時代は責任とギャラの反比例で気の毒だと。 確かにやり甲斐だけに支えられて頑張っていました!! 何より大学卒業した時に都会でイベントMCの就職を決めていたのに、諦めて田舎にUタウンした時点から 逆張り ↕️ いや、逆張りをしょう!ときちんとシミュレーションをして帰ってきたなら良かったのに、一人っ子だから仕方ない的に田舎へ戻るというのが最初の致命的ミス! そこからは「そうするしか仕方ない」の選択ばかりの人生に振り回される。 自分の人生の舵を取れていない。 完全に操縦不能状態の難破船。 『 有りたい未来の自分 』を決めての決意と行動での 逆張り もOK! そうじゃないと誤算ばかりで報われない。 これからの時代はより一層には『辿り着きたい目標地点』を定めて、努力をしないと徒労に終わりがちですよね。

数命士あるある

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どの業界にも あるある は有りますよね。 私はニュースを見る度に例えば犯人の名前の画数を数えてしまったり。 町の広報誌の おめでた欄 のBabyの名前の字画を何気に鑑定していたりします。 そして、1番の日常的なモノとしては 前を走る車のナンバー を無意識に鑑定してしまいます。 悪いナンバーだと、自然と車間距離をとってしまったり(笑) 前を走る車が良いナンバーばかり続くとプチHAPPYになったりします。 不思議なモノでその日によって偏りが有るのです。 ずっーと悪いナンバーばかりの日だったり、ずっーと良いナンバーばかりの日だったりするのです。 もしかしたら、それも 見せられているのかもしれないな~ と。 だから、悪いナンバーの日は全てに自重したり、全ての行動を気を付けたりしています(*^^*) 以前に家族揃って(両親と娘・娘・息子)鑑定をさせてもらった長男君は 車好き で、良いナンバーと悪いナンバーを質問されたので教えたら姉弟揃って丸暗記 。 家族で 車で出掛ける度 にナンバー判定が繰り広げられるらしいです。 なかなかの 恭ちゃん沼にハマってます (笑) もちろん、恭ちゃんのジムニーナンバーは大吉にしております(*^^)v

千ケ峰の麓で数命判断

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知る人ぞ知る『 千ケ峰 』という山の麓で私は生まれ、今も変わらず住んでいます。 幼稚園の頃から登山と言えば 千ケ峰 。 幼稚園は登山口の市原キャンプ場まで。 小学校になってからの低学年は『 市原 コース』を、高学年になると少し険しい『 三谷 コース』で頂上を目指します。 大人になってからも若い頃は ご来光 を拝みに元旦は千ケ峰の頂上へと幾度となく。 校歌には千ケ峰が織り込まれたものを歌い続け、当たり前の日常に存在する山でした。 最近、 数命判断 をしていて 千ケ峰 を見る度に思ってることを書きます。 少し長いですが、お付き合い下さい(*^^)v 人生 は誰しも頂上を目指して登っていくという意味では 登山 に似ているなぁ~と。 千ケ峰に 市原 コース、 三谷 コース、 岩座神 コースと有るように、人それぞれコースは違えど、頂上を目指していくという意味では同じ。 幼い頃は学校の先生に秋の良い季節の日に登山日を決めて貰い、年齢に合わせたコースを先導して貰う。 でも、大人になったら自分でタイミングを図り、自分に合ったコースを選び、下準備をして『 人生の登山 』を目指す。 自分を解っている人は自らに合った人生の登山計画を。 しかし、自分を解っていない人は真冬の時期に軽装でハードなコースを選んで遭難をして周りに迷惑を掛けた挙げ句に辿り着かない。 案外、自分のことを解っていない人は無謀なことをやらかします。 そういう時に自分を知るために『 数命判断 』も1つの手立てなのかも?と感じます。 ご依頼頂いた方に少しでも 素晴らしい人生の頂上 を見て欲しい!!と願いつつ。 同じような気持ちで使命を全うされている方が同様の生業の方なんだろうな~と。 そして、山道には迷いやすい所も有る。 そこには 道標 が有る。 先に登った人が後の者へ知らせるもの。 それが先人の智慧だったりするのかな。 また、ガイドの役目の人も居る。 いいガイドの人に出会えることも大切なこと。 そして、登山ではすれ違う人と必ず声を掛け合うのがお決まりですよね。 「こんにちは!」 「もう少しですよ」とか。 「滑りますから気をつけてね」とか。 それがご縁の有る励まし合えるイイ仲間や友人なのかな。 雪の日に本当にハードだった年のご来光をを頂上に臨んだ時に、見も知らない男性が「どうぞ」と渡して下さった紙コッ...

数命判断考察

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数命判断 からの気付きです。 人の運命は 螺旋 を描くように、ある一定周期で形は変えても同じようなことが巡ってきている。 そして、運命に翻弄されて同じことを繰り返してるだけの人と、 その課題を前の螺旋の時よりも自分らしく上手く熟せたり、助けが入ったりと自然にクリアしてる人とに分かれるようです。 そして、 魂 も同じなのかな?と 最近感じています。 ここからは私の個人見解です。 魂 も生まれ変わりの繰り返しの中で何度も同じような出逢いや経験を味わうのかな。 人との出会いでも再会の時に前より良い出逢いに変えられたり、良き形で使命を果たせたら素晴らしいよね 数命判断 は多くの事を教えてくれます。

リンクした話

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友達が数日前に言いました。 「仲間で助け合わなくっちゃ!と言っている人は 助けてもらわないといけないことが起こる 」と。 なるほどー!と腑に落ちました。 『 群れると人間は腐る 』と以前にこのブログにも書きましたが… これにも相通じる話ですよね。 そして、昨晩読んでいた本の中に、更に  リンクする話 が書かれていました。 『【人】って漢字をこれは人と人とが支え合うという意味と誤解をしている人が居るが、それは間違っている。 これは1つで出来ている文字だから、 人が足を広げて大地にしっかりと立っている姿を表している 』 納得しまくりました! まぁ、とある学園ドラマの先生の台詞で上記のような誤解を生んだのかもしれませんよね。 浅い意味ではそれも間違っているとはいえませんが、それは成長段階の中学生への授業の一環での狭義でしょう。 深く考えたら、 人間はこの世の中に沢山の学び(楽しいことも試練も含め)に来ている。 そこで、我が人生を味わいきるという意味でも、しっかりと足を踏ん張って( これは1つの例えとして )、自分の人生を立てなくっちゃ! 先ずは 自分で立つ! そこで、周りと協調したり、共に学んだり、色んな体験を共有したり。 それは 自分自身でしっかりと立った上での話 ですよね。 それを他人に依存したり、マウントを取る人の言いなりになったり、群れて強気に任せ傲慢になったり、人を排除したり、欲にまみれて仲間以外から奪い、それを仲間うちで分かち合い… そんな仲間うちを 特別な集団に所属しているかのように優越感に浸り 。 考え違いしているよ!という お知らせ で次々と起こる事故、怪我、病気、トラブルに 助け合わなくっちゃ! と仲間意識でテンションを上げても、それは美徳でも何でもありませんよね。 心理学で学んだ【ゲシュタルトの祈り】 、正にこれです!