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6月, 2023の投稿を表示しています

無駄は無い

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仕事仲間が言っていました! 「色々としてきたことが全て今の仕事に役立っている。 無駄は無かった」 と。 確かに! 彼女が20歳代から50歳代にされていたことを60歳代で総決算のように花開かれて活躍されている。 私もパズルのように全ての時間を仕事が組み合わせてやってこれた。 やはり 無駄は無かった ! みんな、何でこんなことさせられるんだろう?とか、こんなことして意味があるのか?と思うようなことも、先々では必ず役に立ったと思いませんか? もし、まだなら、今から先にきっとお役に立つのだろうと思いますよ。 だから、迷うことなく目の前のことに直向きにしつつ、得ることを吸収しておかれたら 無駄は無い。 これが、神仏の采配だとしたらお見事! 流石です(*^^)v

一文字貰う

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イマドキのキラキラネームには減って来ているとは思いますが… 以前には 親や祖父の一文字を貰って命名 なんてことも有りましたよね。 私の 数命判断 は画数で鑑定するので、これに関しては述べる意見は本来はありませんが… その筋(命名の)では 貰った人の影響を受ける と言われていました。 まぁ、俗に言うところの 肖って っていうヤツですよね。 よく、歴史上の人物や時の政財界の一文字を使ってあってなんて言うのもその一環ですよね。 なかには、その当時に両親が 推しのアイドル と同じ名前をつけて、格好良くや可愛らしくなって欲しいという願いなどを込めてというのも有りますよね。 以前に司会を担当した新婦さんから「父親が以前に付き合っていて好きだった女性の名前を私に付けたみたいで、あとから母親にバレて大喧嘩で私はとんだトバッチリです」なんてことも有りました。 これって意外とあるあるらしいです(笑) 今なら 大谷翔平選手 に肖っての 翔平君 も多いかも。 そしたら、野球が天才的になるか?!と言ったらそんなことは無いはず(笑) しかし、もし身内の 祖父が自分の一文字の付いた孫 がいたとしたら、そりゃ、可愛がりまくりに決まっていますよね。 で、いつも連れ歩いて影響を与えたりということはあるかもしれませんけどね。 そういう 意味の影響はあるかもしれませんので、無いとも断言は出来ません。 しかし、そこはケースバイケースでしょうかね。 でも、 親が音楽好きで有名な音楽家と同じ命名をしたことにより、その子も音楽の道へ的な影響(洗脳)は 十分あり得るパターンではあります。 親からの 植え付け も加味されていますからね。 私は 画数を大切に考えますが、 そこには両親の想いもあってと命名をしています。

因縁の法則

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昔から言われていることですが… 私もこのブログにも書いた話です。 それは、 祖父母の生き様は孫に出る! 祖父母が人格者で多くの人を助けていれば孫に恩恵が巡ってくる。 同様に祖父母の行いが悪いと、その報いは孫に跳ね返ってくる。 さて、今回はこの話には続きが有りますので書いてみますね。 その 因縁には法則 がある!ということ。 男子の孫には 母方の祖母 の因縁が。 女子の孫には 父方の祖父 の因縁が。 私の場合は 父方の祖父 ということになりますが… 納得してしまいます。 私は祖父の後片づけをするような日々。 祖父のしてきたことの報いが次々と私に降り掛かってきてるのを実感する50年余り。 このことを曽祖母が祖父に口酸っぱく忠告を与えていたそうですが、全く聞く耳を持たなかったようですが… この話は昔から言われているので、知っている人も多いので時々、話題に上ります。 お金に恵まれたなら祖父や祖母が困っている人を沢山助けてきたお陰。 良い人に恵まれたなら祖父や祖母が徳のある生き方をしてきたお陰。 祖父や祖母が人を傷つけたり、傲慢に生きていたらその報いが孫に跳ね返ると。 これは昔からの言い伝えなので 教え かもしれませんが… しかし、確かに私は実感するような話を多く目にしてきました。 皆さんが幸運に恵まれて幸せなら祖父母に 感謝を 。 そして、イマイチと思われるならば、祖父母への怨み言を言わずに、お孫さんのためにもご自身が 徳を積む生き方 をなさって下さい(*^^*) それが イイ ね。

竹の花は不吉?!

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竹に花咲くと不吉 と言われます。 迷信と言う人もいますが… 竹の花が咲くと地震が起こる。 竹の花が咲くと天変地異が起こる。 竹の花が咲くと異常気象。 竹の花が咲くと不幸が訪れる。 などの言い伝えが有るようです。 それは、竹の開花は120年周期。 だから、見れることが稀。 そこから、滅多に起こらないようなことが起こるという言い伝えになったのかも? しかし、 不吉と結びついた訳は 竹の特徴によるようです。 日本では古来より竹はグングンと伸びる成長の早さと繁殖力で、 常緑で倒れにくく真っ直ぐに伸びるのて 生命力を象徴する「おめでたいもの」とされている。  このように、竹は縁起の良いものというイメージがある。 その 竹は花を咲かせたあとに一斉に枯れていく ので 不吉 としたのでしょうね。 しかし、120年周期なために生態がよく分かっていないので原因も分からないらしく、生きてる間に見れることすら奇跡と。 数年前に咲きました。 私は見ました! そして、今咲いているんです。 我が家の竹林の二カ所共に 竹の花が咲いているんです。 しかも、咲きまくりなんです! これは如何に?

才能か?!

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昨日、話していて目から鱗と言うよりも、きょとーん??のビックリをしました! 継続出来ることも“才能”の1つと。 アスリートのような激しいトレーニングや本格的な断食とかを続けるのなら才能も才能、超才能だとは思います。 しかし、簡単なことでも 継続するって才能 って聞いてビックリしました。 そんな当たり前のことが… 才能? 例えば決まった時間に薬を飲む、毎朝水やりをする、元にあった場所に戻す、約束の時間に行く、そんなことは 当たり前のこと で 才能 とは思えない。 生徒でも学校の宿題をして出すなんて 才能 とは思えない。 当たり前のこととしか。 出来の良さは二の次で宿題をやる、提出は普通のことでやらないのは怠け者としか思えていなかった。 しかし、そういう 期日を守る 、 継続する、 そういうことすら 出来ることは才能 と。 へぇ~?と昨日は新たな学びをしました。 不思議な世の中になったんだなぁ~ ビックリでした!! そうか、普通と思われることが出来るのすら 才能 なんだらしい。

笑っていよう

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思ったように世の中はいかないことばかりだと思っていませんか? 悶々としたり、イライラしたりすることが多々ありますよね。 しかし、 笑っていましょう! 悔やんでも暗い顔していても改善されないし、寧ろ悪化の一途。 暗い顔して改善されるなら、この世の不幸を全て担当しているかのように眉間に皺だらけにしてドンヨリしたらいい。 しかし、改善されない。 そんなことはみんな百も承知。 分かっているけれど、笑えるような気分にはならない。 そりゃそうでしょうとも。 だからこそ、そこを 明るく笑えている なんて、ちょっと凄く無いですか?! 格好いいじゃないですか?! 数命判断 をしていて思います。 みんな、何かを抱え、何かに傷つき、何かに悩み、それでも歯を食いしばって生きているんだなぁ~と。 誰もが平等でも無いし、才能もそれぞれだし、運が良いや不運もあります。 けれど、それでも毎日万々歳で悩みの欠片も無く生きている人はいない。 それじゃ、天国だもんね。 形を変えて色々と有ります。 出来るなら幸せ密度が高い人生の方が良いけれど、次々と降り掛かってくる人生をなぜか選んでしまってたりするんですよね… 宿命の部分は仕方が無いとして。 運命の分は『運ぶ』って書く 位だから、それなりの持って行き方で幾分か、いや、かなりの部分で変えられるはずです。 ならば、 笑っていましょう ! ハリーポッターもびっくりの最強の魔法は 笑っていること のような気がします。 “顔で笑って心で泣いて”のこの言葉じゃ無いですが、とりあえずビール!!じゃ無くって、とりあえず 笑って いれば改善されていくような気がします。 笑顔と時間は最強の魔法 です! 辛いことがあったら笑う。 悔しいことがあったら笑う。 とりあえず笑ってやり過ごしましょう!

まだ、頑張れる!

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生きていると有りますよね。 辛いこと。 虚しいこと。 悔しいこと。 しんどいこと。 そう、みんなある! それでも、人は人に傷つき、そして人は人に救われる。 それは身近な人には限らない。 アーティストの曲であったり。 ドラマや映画のワンシーン。 アスリートの姿。 誰かの頑張る姿は誰かのエネルギーの元になる。 あなたの精一杯は決して無駄では無い! 私もまだまだ頑張れる! 頑張っていようと思います。 目の前のこと全てに! 生き急ぐことになっても構わない。 まだまだ頑張れる!

平凡な人はout of 眼中

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数命判断において 16 という格数を持つ人は 平凡な人に興味無し。 非凡な人・才能のある人・実力者 とのみ 交流する という特徴があります。 ところが、これも偏りがあります。 とある 人脈のお仲間うちに この タイプの人ばかり ということが起こりました。 すると、そのうちの一人の方が「これって全員にあるんですか?」ときょとーん??と。 いえいえ、無いところには全く無いし、寧ろ、そんなにあることでは無いのです。 つまりは、そのお仲間うちは 非凡な人ばかりが集うお仲間 だったというだけのことなのです。 これも 類友 の一種かもしれませんね。 確かにコスプレ仲間の中に普通の格好の人が一人だけ紛れ込んでいるって違和感が有りますものね。 それと同じようなモノ。 不良グループの中にクラス委員タイプの 例えばタッチの朝倉みなみちゃんは不似合い的な(笑) ボランティアをしている人の回りにはボランティア精神のある人や動物保護をしている人には同じような人が寄り集まったり。 だから、 数命判断 の結果としては 同じような格数 の人が集まるということはあるのかもしれません。 数命判断 からみる人間関係学も面白いところがあります。 皆さんも仲間を見回してみたら気付くかもしれませんよ。 類友の運気 だなぁ~と。

特吉

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姓名判断 では 特吉 というものがあります。 これはなかなか鑑定が厄介となります。 不明型 と同じように特殊です。 『特吉』 は 男性には大吉運 です。 仕事などでの活躍や 男気 の強さが強味となります。 これは今の世の中では女性も仕事をするのは当たり前の時代には女性にとっても 大吉 のはず… と言いたいところです。 また、社会で活躍するためには女性であっても 男前 なことは素晴らしいこと。 しかし、しかしです。 恋愛や結婚となると厄介さが出るんです。 よく、女優さんと結婚されていた男性が離婚の時に「家に男が二人居るようなモノです」と女優は男だ!的な表現をされるアレです。 特吉 の運気を持つ女性には更に上いく 特吉を持つ男性 とふたりでなら 戦友としてイケイケドンドン で事業拡大なんていう場合は上手くいく。 しかし、 特吉 の女性に中途半端に弱い男性とセットだと、 女性が男性を喰って しまって 後家運 なんてことになったり、 息子をダメ にしてしまったりということも起こる。 何事も 組み合わせとバランス ですからね。 昨日のニュースで世界各国の男女格差についての調査で日本は146カ国中125位。 そう、日本においては 特吉 の 女性にはまだまだ生きにくい 世の中なんですよ。 さぁ、そこをどう鑑定するか。 人は一人で生きてはいない。 傍らに居る人の 運気の強弱 にもよるので、安易には良いとも悪いとも言えない。 だから、 特吉 も捉え方に寄るところが大きいのかもしれませんね。

不思議の類友

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数命士 恭ちゃんの習性としては自動車を見れば自然とナンバーを 数命判断 をしてしまいます。 で、面白い発見! カフェや飲食店などは一見さんもいらっしゃるけれど、 習い事 などのように 毎週、毎月 のように同じ方が集われるスペース経営されている所って有りますよね。 ある 習い事 の所に駐車されている自動車が揃いも揃って全車が 最大凶と大凶のナンバー のところもあれば、その反対に 大吉と最大吉 のナンバーの自動車ばかり駐車されている所もある。 不思議なもんだなぁ~と思います。 類友が集う ってことなんですよね?! 運気には吉、小吉、小凶、凶など色々とあるにも関わらず両極へと偏る。 不思議なモノです。 良くも悪くも『引き寄せ』 はある!

数命士 恭ちゃんの苦悩

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数命判断 は統計学です。 だから、何事にも例外は有ります。 だから、 当たる当たらない に右往左往する必要もなく、 転ばぬ先の杖 として皆さんに活用してもらうのが目的です。 例えば、 事故に合いやすい運気 の人には気を付けてもらうように。 病になりやすい 病気 にも早期発見を促すというように。 しかし、私が鑑定した女性には 結婚運が皆無 で 異性運も悪い 。 利用されてり、貢いだりの運気 とよろしく無い。 しかし、彼女には 職人気質で仕事を真面目に頑張る運 があるのでその方向を勧めるとする。 しかし、彼女は 結婚では無く『同棲』という選択 をされて、資格のある仕事を辞めることにされた。 ひとむかし前なら、 同棲は同棲 。 結婚は結婚 でした。 全く種類の異なるモノでした。 しかし、今は 同棲は当たり前の時代 。 そうなると、 結婚運 は無くとも 同棲なら有り得る 。 その 同棲 を 結婚と捉えるか? 人によっては 半年同棲して別れたらバツイチ と同様と言われることもある。 同棲を3年 したけれど 籍は入れず ものと、 結婚3ヶ月 で離婚したものとどちらがどうか… 時代と共に色んなことが難しくもあるなぁ~と思う今日この頃です。 数命士 恭ちゃん としては時代に合わせて色々と臨機応変に対応していかねば!と思っています。

慣れるより学ぼう

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【慣れるより学ぼう!】 時として人は慣れる。 例えば、よく送迎をしてくれる友。 度々野菜を届けてくれる親戚。 いつも助けてくれる仲間や家族。 慣れることを良いことのように言う。 「こなれた」とか「慣れ親しんだ」的な。 しかし、人は慣れると当たり前になる。 もし、反対の立場だったら、それをずっと出来るだろうか? きっと、出来ないと思う。 得意な人がやるのが合理的という意見も有るかもしれないが… けれど、『 ありがとう 』の気持ちは常に持ち、慣れないようにしたい。 『慣れる』のでは無く、そこから優しさを『 学び 』誰かにしてあげよう!と。 回り回ってだもんね(*^^*) 『 慣れるのでなく学ぼう !!』と思う。 今、満開の『スイカズラ』の花を見て、ふとそう思いました。 スイカズラの花言葉は献身的な愛。 *(因みに「こなれた」の漢字は「熟れた」だケド

金運の必殺技

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昔からよく聞く話。 「宝くじが当たったら周囲にばら撒かないと悪いことが起こる」と。 また、先輩で「臨時収入が入った時はそれを独り占めすると良くない事が起こるから今日は奢るね」と。 また、「 金運でドンドコを見る人は儲かった時に「自分に自分に」と自分のためにばかり使って来た人だ。 儲かった時に人に奢ったりお裾分けしてきた人は貧乏のどん底は来ない 」と。 要するに大切なのは 儲かった時の生き様 がそのあとの経済状況の決め手となる!と言うことですよね。 私はサラリーマンでは無いので給料としてどこの誰かのお金か分からないのを貰ってる訳では無い。 ハッキリと 生徒の保護者サン、司会やウグイス嬢のご依頼者サン、数命判断のご依頼の方 と 目の前 にお金を支払って下さる方が存在するから 有難いという意識 を持ちやすい。 だからこそ、お仕事が順調で収入が有る時は周囲にお裾分けをしよう!と心に決めている。 同年代のサラリーマンの人に比べたら、田舎の少子化の塾とコロナ禍の婚礼減少でスッカリ困窮の薄収入。 同級生の公務員の友達の4分の1以下(>_<) それでも何とか皆さんに助けてもらいながら暮らせています。 だから、収入があった時はお裾分けや運転したり、出来ることをするようにと心掛けています。 ぐるりと眺めてみても、収入の有る時に周囲に気持ちよく出している人はコロナ禍もお仕事をご紹介頂き何とかかんとか切り抜けられているようです。 反対に儲かった時に自分のためにばかり使いまくっていた人は怪我・事故・病やアクシデントで嫌々吐き出して困窮されているように見受けられます。 儲かった時には周囲に思いやり(*^^*)をですね!!

戻れるとしたら…

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コマーシャルで『 戻れるとしたらいつに戻りたいか? 』みたいなのをやってます。 あなたは、いつに戻りたいですか? 昔は「0歳からやり直したい!戻って、もっともっと勉強をして優秀になりたい」とずっと思っていました。 しかし、いつの頃からか「0歳からやり直すのはしんどいなー」。 戻らなくっていいや! 早く今世を終えたい!!と思うようになりました(笑) しかし、 今は今でいいや! そう思っています。 若さも無いし、体力も落ちてる。 司会をするのが楽しかった時期。 毎日毎日司会をして、楽しくって楽しくって毎日毎日ドキドキハラハラしていた必死に頑張っていた時期も懐かしい。 しかし、 今でいいや(*^^*) 周囲の人に恵まれて、人の優しさも解るようになり、人の頑張りに心から応援出来るようになった 今。 楽に生きれるようになった 今 のままでいいなぁ!と。 プライベートにおいても 戻りたい時期 は残念ながら無かったしね(笑)

人生のバトンタッチ

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今朝、友達と語った話。 命も体もモノも全ていつかは終わる。 有限です ! 残せるのは 生き様 なんだねーと。 精一杯、 生き抜いて、生き切って… 生き終えた後に誰かの心の中に『生き様』として残れたら本望 だな。 その生き様が誰かの 生きるエネルギーの灯火 になったら最高です。 そして、それこそが 人生のバトンタッチ! あの世には何も持っていけないのは平等だけれど、 この世に何をどれだけ遺すかは大差 あり。 技術や技能は遺せる人はそれが素晴らしいこと。 私のように後世に遺す技術や技能の無い人間は 生き様 なら遺せる! 最期まで、精一杯生き抜く。 生き切れば誰かの希望にのるかもしれない。 そう、思います。

紫陽花おまじない

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毎年この時期に周囲も巻き込んでやってることです。 【紫陽花のおまじない】 6月 の 6 のつく日(6/6,16,26)に『 紫陽花 』を切って紙に包み逆さにトイレに吊すと 魔除け になる! 魔除けだけでなく 女性特有の病除け にもなるらしいと聞いてから毎年続けています。 今年はこれです⬇ 以前は周囲やご近所サンにも作って配っていましたが、皆さんも自主的に作って飾っていらっしゃるようです。 いい波紋(*^^)v 昨年作ったモノは塩を振って感謝をしつつゴミとして収めます。 所詮はまじないと言ってしまえば終わりですが、トイレのお掃除を入念にしつつ、 健康であることに感謝 をするって良いことだと思います。 今月はあと、 6/26 があります。 皆さんも是非とも如何ですか? 玄関に吊すと金運という説も有りますが、私は トイレ のみ(2カ所)にしています。

家を建てると不幸を招く

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家を建てると不幸が訪れる という説が実しやかに語り継がれていますよね。 例えばこんな風に。 家を建てると家主が亡くなる ・家を建てると身内に不幸が起こる ・家を建てると不幸なことが起こる 迷信なのか?! それとも本当のことなのか。 事が事だけに不安になったり、迷ったり躊躇したりされますよね。 私もこの相談をよく受けます。 確かに私の同級生でも夫婦でバリバリと第一線で働いていたのに、新興住宅地に土地を買って新築をして引っ越した途端に旦那さんが「コーン」と鳴き始めて(狐が憑いたらしい?!)、そのまま30年以上も引き込もったままで奥さんが必死に働いている例も 知ってはいる。 私の考えで言うと… まんざら嘘とも決めつけられない。 それは環境が変わることによってエネルギーの変化が起こる。 それが起因しているのでは無いか?!と。 例えば人間には節目や 運気の低迷する 時がある。 その時に大ごとをする上に環境が変わればストレスは増えて当たり前。 分不相応の家を建ててお金のために残業など無理をしがち。 通勤時間が増えて睡眠時間が減った。 生活環境の変化がストレスになった。 ご近所が変わることによっての人間関係の負荷が増えた。 親や身内にお金を借りて遠慮することが増えた。 ローン返済が負担になった。 などなど 外圧に精神的に参って病気や事故 に合うとか。 氣の悪い場所へ引っ越して健康衛生上 マイナスになったとか。 運気の低迷の時に環境の変化が追い打ちをかけた とか。 家を建てる度に人が亡くなってたら、人口減少は甚だしいことになります。 だから、 家を建てることに過度に怯える必要は無い。 但し、 良い運気の時に氣の良い場所に建てること。 また、精神的の安心のためにも昔からされ続けている 地鎮祭 はやっておく。 分不相応な場所や建物にはしない。 それで、無理の無い範囲で新築されるのは良いことだと思います。 ところが、誰かが無理をするような形で家を建てることは 歪みを生じさせる。 その 歪みが負のエネルギーを生むことで不幸を呼び込む ことになる。 結果、 家を建てると不幸が訪れる となる。 分不相応 に 無理をしない形で良い時期にならば 安心して大丈夫です。 無理をしない範疇で。

直向き

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直向き は最高の同性への武器になります。 男性は見た目に弱いから「可愛いから」「美人だから」「ナイスバディ」だからで許してくれることもあるでしょう。 あとは、「若いから」も。 しかし、 同性( 女性から女性に対して )に対して厳しい とも言われますが… しかし、私は寧ろ 公平 だと思います。 可愛いからや美人だからでは無く、 本人がどれだけ直向きなのが大きい と思います。 わかりやすく例えて言えば、先生は新人に比べてベテランの先生の方が経験値も上に決まっています。 しかし、新人時代は誰にでもある。 その新人時代に経験値は浅いのは当たり前でしょう。 ベテランには及ばなくっても、 直向き に頑張っていれば子供達にも保護者にも伝わるものです。 これですよね。 直向きさ は何よりの強みとなる。 今、やっている仕事や作業がつまらないこともあるでしょう。 単調だったり、しんどかったり、やり甲斐を感じられ無かったり… それでも 直向き にやっている姿は 誰かに影響を与える 。 そして、 誰かのエネルギーになります!

不明型

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私の 数命判断 で 『不明型』 という鑑定が出てきます。 鑑定書にも 不明型 と書いていますので、それを見た人の反応は千差万別です。 「 不明って(笑) 」って面白がる人。 「 不明ですか… 」と訝しげな人。 「 不明💧 」と凹む人。 色んな反応があるのですが、それで 正しい のです。 文字の通りで 明らかでは無い。 チャンスって唐突に来るからチャンスと言うじゃないですか?! 段取りが出来て着々とならばコネや恩恵。 これはチャンスとは言わないですよね。 そう、本当の チャンス って前触れが無かったり、未知的なモノです。 だから、そういう チャンス の可能性があるけれど、その チャンス を摑むか摑まないかによって 人生は大違い 。 チャンス は人によっては様々。 見逃すかもしれない。 敢えて受けないかもしれない。 抜かりなくget! だから、 不明型 は不明なのです。 その気になれば チャンスの可能性はあるけれど、ご本人次第 。 だから、 不明型 なのです。

孫への因果の言い伝え

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私が子供時代に聞いた話。 不労所得を得ると必ず孫の代に薬に苛まれる! と。 (当時は不労所得という言葉では無かったけれど…) 不労所得で豊かな人が出ると 孫の代に返ってくる という話でした。 孫の代に病気で薬を手放せ無い子、精神を安定させる薬を飲み続ける子、薬に手を出す子、薬での自死をする子が出てくることになると。 子供の頃には半信半疑だったのですが… 最近に同じような話を立て続けに3カ所から聞くことになりました。 それで、ふと思い返してみると… 確かに一理あるなぁ~と思う事例が多々。 これは単なる言い伝えかも?しれない。 迷信かもしれない。 しかし、そう言い切れないような話や相談が次々と聞こえてくると… 家を建てる時に 入念にしないと、よくその家の 大切な人を取られる と言い伝えられるのと同様かもしれない。 この話は有名ですよね?! 不労所得 で得たお金を社会貢献したり、人のために使えば良いけれど、そのお金を抱え込むと 孫の代に因果 として返ってくる。 私には子や孫はいないし、その類の心配は無いけれど、それでも 不労所得を得ることが怖い と染み込んでいるので躊躇われる。 というか、ヤッパリ 無くてはならない人 になれるように目の前のことを頑張る! そういう風にしか生きられ無い性分だから、仕方ない(*^^*) そして、そういう風に生きている人には神様も仏様も人間様も応援して下さる。 だから、お子さんもお孫さんもスクスクと育つということなんだと思います。

人財・人材・人罪

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優しさ って色々有りますが、苦労をしても笑っている人は間違いなく 優しさを知っている方だと思います。 よく、 忙しい人に仕事を頼め! と言いますよね。 普通なら暇な人に頼めば良いものですが、暇な人は役に立たないから暇なんです。 仕事の出来る人は出来るからこそ、仕事が集中する。 だからこそ、忙しい。 これと同様に 大変な状況の人ほど周囲への思いやりや優しさがあって 配慮が有る。 苦労したからこそ、人の大変さが頭で考えるのでは無く、骨身に沁みて分かる。 だから、 優しさがある。 大変な人ほど親身になってくれます。 実際には何も出来ない状況かもしれないけれど、話を聞いてもらったり助言をもらうなら大変な思いをしてきた人にこそです。 最近読んだ本の中に書いてありました。 『 人財 』は使命を果たして生きている。 なくてはならない人。 『 人材 』は最低限のことはしているけど、なくてはならないという域には達せず。 『人 罪 』は和を崩す迷惑な人。 人財になりたいし、人財と共に生きていくということが大切ですね。

独立の相談

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時々、 「独立したいのですが、やっていけますか?」 と聞かれます。 また、一度もお勤めをしたことの無い私に「 フリーって怖く無いですか? 」とも。 確かに、同業の塾や家庭教師の先生仲間は3年間や6年間すれば卒業していくので、 次の仕事はあるかな?という不安とは常に背中合わせでは有ります。 フリーや独立は 自由 だと思われますが、普通のサラリーマンよりも長い時間を仕事に費やす覚悟が要ります。 とにかく、自分ぬプライベートは置いといて 仕事ファースト です。 旅行へでも行かない限りは オフ にはなれないということ。 それも苦にならずに当たり前と思えるなら 独立も有り でしょう。 しかし、使われるのが嫌、縛られるのが嫌、好きなことだけしたい、 自由 を求める気持ちが強いなら、 独立には向かない と思います。 だから、ご本人にしても、お子さんのことだとしても 独立 するのなら その仕事と結婚する 位の覚悟が無いなら会社等へのお勤めをしておくべきだと思います。 なんとなくで 独立 を夢見る若者が最近は多いと感じます。 若くても 独立して成功する 人は独特の 勢い みたいなものを放っています! 少し話せば分かります。 振り切った覚悟がみてとれます。 その場合は 数命判断でも独立に向けての背中を押します! 一度もお勤めをしたことの無いゆえにの 厳しさに晒されて生きてきた私が分かっている。 独立は甘く無いし、厳しいし、必死だし、そして、楽しいと思う分だけ過酷 でした。 楽をしたい。 そう思うなら 独立は 向かないですね。

お金の器

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前々から書きたかった内容なのですが… 上手くまとめきれて無かったのですが、とりあえず書いておこうと思い立ちました。 人には器が大きいとか、小さいとかって話ますよね。 で、私は思っているのです。 金運にも人それぞれ器がある ってこと。 例えば… 私は金運の器は大きく無い 。 これは認めたくは無いけれど(笑) これは生まれてから一生モノなのか、それとも大きく出来るのかは研究中です。 後者に期待をしていますが… で、生まれてから現時点までの私の 金運の器は小さかった わけです。 だから、お金を貯めようとしたり、少し貯まったり、臨時収入があると 必ず出費ごと が起こるんです。 例えば、車の事故。 テレビやパソコンやエアコンなどが壊れて急な出費が起こる。 電化製品などは消耗品だから、いざ知らず自動車事故や家族の手術などは泣き泣きの出費。 周囲の人からも同様な あるある を聞く度に、私はこの 持論に自信がわいてきた。 で、私は 少額しか貯められ無い金運の器。 だから、それを 越えると泣く泣く吐き出させられる ように出来ているのでは無いか?! だったら、どうせ失うなら 周囲のお世話になっている人々にお土産やお礼やお裾分け する方がマシ、いや、その方が気持ちいいということ。 お金持ちで怖い位に資産を持っていても、全く問題無くお金が入ってくる人もいらっしゃる。 そういう人は東京ドームのような金運の器なのでしょう。 羨ましい!! 私はせいぜい、小さな枡ってところかな? だから、直ぐに溢れてしまう。 ならば、溢れる前に他の人の器に移す方が得策ってところです。 泣きながら 溢れる のを眺めるよりも潔い! だから、誰しも自分の 金運の器 を知っておくことが必要。 知っていれば、宝くじを当たりもしないのに買う必要は無い!とか。 欲どおしくお金を掻き集める必要無し! ケチケチする必要無し! 気持ちよく出すべきところには出す! 周囲でもいらっしゃいます。 ケチケチして手術や怪我ばかりして、挙げ句に子供や孫達が遺産争い。 そして、乳母捨て山のようにされてる人。 器以上に欲に駆られてケチケチしても、それは器が小さければ徒労に終わること。 しかも、泣きながら吐き出すならば、周囲の人と分かち合い器の合った生き方をする方がいい。 そう思ってからは周囲にお裾分け攻撃をするようにしました...

般若心経の不思議

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先日、集まったメンバーが信仰心があるわけでは無いけれど、全員が毎朝仏壇で 般若心経を唱えて いることが発覚。 その時に口々に言われていたのが、私が以前から思っていたことと同じ内容だったので、面白いというか… 「 般若心経をあげて いると困ったことが起きてもさらっと解決するの」 「確かにトラブルや困りごとが 不思議な位に自然と解決する のは 般若心経 をあげているとそうなるのよ」 「 般若心経 には 不思議な力 があるよね」 私もうっすら、それは感じていました! しかし、私の思い過ごしか? 私のこじつけか? そんな気がするだけか? それが、揃いも揃って 般若心経をあげている メンバーが異口同音に言うのを聞いて、ヤッパリかぁ~?!と思いました。 私もどうしょうかな?と思っていたことが自然と勝手に解決すると兼々思っていた。 例えば、同じ日に仕事を入れないといけなくって調整が難しなぁ~と思っていたら、片方の先方から変更依頼が来たりする。 で、私は何もしないのにどちらも熟せた的なことはよく有ります。 また、遅刻すると思ったら、向こうから遅れますごめんなさいのLINEが来たり。 お金が厳しいと思ったら臨時収入でピッタリ払えたり。 これは偶然かな?と思っていたら、皆さんが言うには 般若心経を辞めてた時はトラブルが長引く。 般若心経をあげている時期は自然と上手くいく と。 興味のある方は試してみて下さい。 お線香を丸々立てて、熱い湯気の出るお茶を供えて般若心経を声高らかに(*^^*) 般若心経 の使い方を間違っているのかもしれませんが、先ずはやってみることです!

同姓同名運気

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5年以上前のこと。 母親が入院をして手術をした時に丹波市の同じ病院に 同姓同名 の人が3人も入院されていて、毎回生年月日で看護師さん達も入念にチェックされていました。 私も面会に行った時も 姓名+生年月日を確認 されました。 母親の姓名はそんなに有りがちなモノでは無いです。 芸能人やスポーツ選手なと一人もいらっしゃらない位の少なさ。 名字の藤原はそれなりに有ったとしても 名前は多くは無い のに同じ病院の同じ外科手術に 同姓同名が3人 も同時期に行って入院するか?と。 やはり、 姓名判断 の 恐るべし運気の流れ と思ったことがあります。 それが再度、母親が骨折の手術で北播地方の病院に入院したら、1週間遅れで 同姓同名の人が骨折で手術入院 となり、面会での受付けでも何やらバタバタと確認作業を。 何度も言いますが母親の名前はそんなにお目に掛からない、少ない方の名前です。 だのに、またしても同じ病院の同じ階に同時期に 同姓同名 が手術入院。 同姓同名 でも全く違う人生を歩んでいたりしますが、運気の流れみたいな宿命的な部分では似ている。 意思で選択する仕事や結婚や住まいとは異なったとしても、 病気や怪我 といった抗え辛いモノは 同姓同名 には可能性は高くなるのかもしれませんね。 以前にも数名の方の 死期 を伝えたことがあってね。 「⚪才をなんとか乗り越えられたら長く生きられますが、この年がね…」と言った方々がそれまで元気だったのが突然に逝かれたことが何回かあってね。 それからは その鑑定は封印している。 自分でもその域は立ち入ってはいけない範疇のように思えて。 しかし、 姓名に秘められた運命 の凄さを感じずにはいられません!

霊感の強い人

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最近、多いのが 霊感の強い人 です。 数命判断でお目に掛かった人や周囲の人から「子供が霊感強くて大変なんです」と。 私はちょっと妙なテクニック(?)はあるのはあるというか… でも、それは 霊感 とは違うと思う。 それでも、こういう仕事では多くの人と出会う上に、司会者として 人前結婚式の司式者 として特殊なお役目で。 一時期は年間に120件以上の 結婚式 を取り仕切っているのが何年も続いていた時にはガーデンウェディングなどは晴らさないと思って 空に祈る 時期もあって… 業界では台風や梅雨でも式の間だけを晴らす程の 晴れ司会者 として有名となり、 人智を超えた能力がある と噂される程でした。 あの頃は色んな不思議な体験も多くて、いつも半紙に塩をくるんだモノを胸に入れて、家に着く前に川に流すようにと言われて、その通りにしていたのが十年以上もありました。 霊感 とは違うと思っていたけれど、何かはあったような気がする。 そして、数命判断の鑑定書 を書く時は必ずお香を炊くように心掛けています。 清々しくお伝えするためにも。 しかし、ややこしいモノが見えたりはしませんので 霊感の強い人 の大変さは計り知れませんが… どうしても、そういう類の不安がある方は お塩をひとつまみを半紙の5センチ㎠に包んで胸に納め、帰り道でお塩を川に流して、その時に色んなモノを祓って帰途へ。 今ではそんなことをしなくても大丈夫になりましたが…

お線香

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今日、いいことを教えてもらったので皆さんにもシェアを! ご存知だったら、失礼しましたー!! なのですが…。 毎朝、仏壇に熱いお茶などをお供えする時に必ず お線香を灯して いますが。 もし、線香が倒れて火事にならないまでも仏壇に焦げが付いてはいけないと母に言われて、線香を半分に折って使っていたの。 それは宜しく無かったらしいの。 線香の半分は低い次元のモノへ手向けることになるらしい。 これはそういう道の詳しい方から教え伝えられていることらしい。 帰宅後に調べてみると確かに。 で、 線香立ての下に硝子板を敷いて、丸々1本しっかりと線香を灯すことがイイと。 なるほど、硝子は無機物だから燃えないし不燃物で安心安全ですものね。 理にかなっています!! 人と話すことで学ぶことは沢山あります! 今日も良いことを教わったのでお伝えしておきますね。 小さな硝子なら安くて売っていますし、線香を節約せずとも他に倹約するところは沢山ありますもんね(*^^*)

壊し屋

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時々、こういう方が身内にいてご相談を受けることが有ります。 『壊し屋』 こういう場合のご本人からの依頼は滅多に無く、周囲の人がこの人に振り回されて悩まれる。 それはこういう類です。 *夏休みの宿題が出来ているのに提出することをしない *大学3回生の終わりから4回生になった辺りに中退する。 *一次試験が受かっているのに二次試験を受けない *初任者研修の終わりがけに辞める *資格試験の勉強をしておいて試験を受けない *結婚破談する こういうタイプのことです! 努力をして積み上げて、 あともう一歩のところで辞めるのです。 周囲からすれば勿体ない!と説得を試みるも頑として受け入れない。 そのために応援していた家族などは裏切られたような気分になったり、なぜなぜ?とアタフタしますよね。 それがもっともな理由があれば納得も出来ようもの。 しかし、理由らしい理由も無いから口を閉ざして黙り込む。 周囲はオロオロして落胆のうちに悶々としたままで不安に陥る。 子供がこういう風になると育て方が悪かったのか?!親御さんは悩んだりします。 しかし、こういう 『数命』 の人はいます。 壊し屋 になると人には共通の画数があるのです。 本人から聞いてはいないから周囲からの情報からの推理なのですが、 幸せになるのが怖い といった厄介なキャラ。 積み上げた積み木を完成する直前にバシャーンと潰したくなる。 高速道路で急ブレーキを踏みたくなる衝動に駆られるとか。 パートナーと上手くいくとあまのじゃくになったり、ワザと浮気するとか。 トラウマを抱えているのかもしれないし、魂が歪んでいるのかもしれない。 しかし、それもこれも 『数命』 に表れています。 こういう人は一度 成功体験をするとこのゲームから脱することも 可能なのですが、そこへ到らないのだから始末が悪い。 それでも、信じて待つしかありません。 そういう タイプが存在する と知ることも大切です。 本人も、いや本人自身がそうせずにはいられない自分のことが、一番苦しく嫌なのですから。 でも、そうせずにはいられない!と。

畏敬の念

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昨日、私は氏神様の【 『河上神社』様 】のお供え当番が当たりました。 朝5:00前の少し薄暗い神社へ一人行き、特別に本殿へ上がるためのモノを首から掛けて上がらせて頂く。 榊 を前もって立て、荒い御米・御神酒・煮干しなどを預かっているお道具でお供えする。 今までは男性しか上がれ無かった一番奥の神域ですが今では私のような女系のみの家もあるのでお許し頂けるようになった。 だから、ずっとお参りに上がらせて頂いてはいたけれど、はじめての奥の神域です。 固い扉を開いた途端に正に 畏敬の念 を抱きました。 正に 恐れおののく感覚。 人間の力ではどうにもならない 圧倒的な力 をビシバシと感じた。 素晴らしいと言われている伝統のある寺社で感じる荘厳さとか崇高さとは完全に違ったように思います。 畏敬の念 というものを体感した。 もしかしたら、 畏怖の念 なのかも。 あまりの 圧力 にシュンとなるというか、寧ろ 重苦しさ で思うように動けない。 神主さんや巫女さんが凛と神事をなさっている のをイメージしていたので、私も着々とお供えをしようと思っていたのに、重くて重くて動きが鈍く、どんどんと気持ちが沈んでいく様に。 尊敬とか崇拝とかって次元の違う 圧・パワーに押さえ込まれた と。 いい経験をさせてもらいました。 産土神様で小さい頃から常に身近にあった氏神様で鎮守様で私は大好きな場所。 スッカリと仲良くさせてもらっている気分でいましたが、自分の未だ未ださを 氣で教えてもらいました。 もっともっと、頑張らないといけないなぁ~と感じる6/1の朝でした。  

薔薇は摘める時に摘め!

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こんな諺があるそうです。 『薔薇 は摘める時に摘め 』 解釈すると『今 を大切にせよ 』という意味のようです。 人生は長いようで短い。 今年もはや6月になりました。 年々、1年が早く過ぎていくように感じませんか? 車で出掛けていても行きは遠く感じても、なぜが帰りは早く感じるのと同様でしょうか?! 人生も 折り返し地点を過ぎてからは妙に一日一日が早く感じる。 つまりは 人生の帰り道に 差し掛かっているということの証ですね。 薔薇は摘める時とは“楽しむ時” ってことかな? 確かに、家族のために自分の楽しみを先送りにしたり、仕事優先でやりたいことを我慢したり。 会いたい人と会わず、行きたい所に行かずに我慢を続けて、はっと気付いた時には寿命なんてことは勿体ない! やりたいことをやる。 今を楽しむ。 少しわがままになってみる。 自分の個性を出す。 会いたい人に会う。 行きたい所に行く。 人の目や世間の評価や、そんなモノばかりに縛られずに やりたいことをやってみる は大切なことですよ(*^^)v