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孤独なもの

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今回、普通ならお目にかかることも無いような人から 数命判断 のご依頼がきました。 新聞にも取り上げられる有名なドクター(ご夫妻)からの鑑定依頼です。 いつも鑑定ご依頼を下さる方のお嫁サンのご実家というご縁で繋がりました。 実に人のご縁は思いもかけぬところへ繋がるもんだなぁ〜としみじみと。 私へのご依頼で女性は様々な職業の方がいらっしゃるけれど、 男性の9割 は 社長様 です。 残りの方も脱サラして独立というような展望のある方が多い。 先日もある老舗の社長様が「 社長って孤独なものなんですわ 」と仰った。 そうだと思います。 自分の生活のことはもちろんのこと、従業員の生活も肩にのっている。 また、仕事のことって相談する相手が難しいと思います。 家族は心配する。 もちろん、従業員には不安にさせるから言えるはずもない。 迂闊に外へは漏らせられない。 進むも退くも最終決断は 自らに委ねられている 。 迷うことも、悩むこともあって当然。 そういう時に メンタ 的な存在を持つことって大切な気がします。 全く損得関係も人間関係も関わっていない、淡々と鑑定する存在。 背中を押すことにも、ブレーキをかけるにしても自らの運気などを知ることで タイミングを図れる。 また、年齢を重ねると師匠や先輩も先に逝かれることもある。 そうなると、益々、心を割って相談出来る存在は減る。 男には沽券もプライドも意地もある。 案外、何かあった時に相談出来る存在を作っておくのは男性の責任ある立場の人には大事だと思います。 その時は恭ちゃんを宜しく(*^^*)

残るもの

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開運アドバイザーで有名な崔先生がひすいこたろうサンのBar名言セラピーに出演された時のYoutubeを何回も視聴させてもらったのですが。 その中で崔先生が師匠から教わった話として仰っていた。 「数える単位は 残るモノ になぞらえている。 牛や馬は◯匹と数えず、◯頭と数える。それは身を頂いたあとに 頭が残る から。 鶏を◯匹と数えず、◯羽と数えるのは身を頂いたあとに 羽が残る から。 人間の数える単位は◯名。それは、死んだあとに 名が残る。 神様は◯柱と数える。 それは神様が我々の心に 支えを残して下さる からと」 なるほどなぁ〜と感心しきりでしょう。 そう言えば、あれは20歳半ばの頃に福井県のとあるお寺で法話を聴いた時の話に通じる。 昔は養豚や牛を捌く人達は豚や牛の『 頭』 に手を合わせて葬った。 養鶏をされる人達は鶏の『 羽』 に手を合わせて葬った。 人間は 戒『名』 を付けて葬る。 それ位に生きている時は 名 を大切にするものです。 "死んで 名を残す" それ位に生き様は 名前 という形で残っていくものだという諺の如く。 姓名判断 をはじめた頃にこの法話を思い出して、 姓名 というものは本当に意義のあるものなんだなぁ〜と思ったことを崔先生の話から思い出しました。 色んな鑑定方法があるけれど、私が 姓名に拘る のはここに原点があるのかもしれませんね。

道は開ける

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先日、 数命判断 の帰り道。 篠山市から丹波市へ抜ける道で渋滞なのか、全く車が動かなくなりました。 工事? 事故?と思って待つこと20分以上。 前のトラックのおじさんが降りてきて、「仲間情報によると交通事故みたいだよ」と話しかけてきました。 (おじさんと称したが私より若いかも?(笑)) おじさんとそのまま世間話をしていると、後ろの車とかが何回も切り返して引き返そうとしはじめました。 私はこの道しか分からないので、通れるまで我慢しようと思っていたら、パトカーや消防自動車がサイレンを鳴らして右車線を走っていく。 トラックのおじさんが引き返そうとする車を見ながら「こういう時は長年のカンで待つ方が大抵早いもんや。引き返した直後に通れるようになるもんや」と。 すると、その通り。 後ろの車が数台引き返した直後に警察官の誘導でスイスイ走れました。 流石に 長年のドライバーサンのカンはお見事 。 この時に思いました。 確かに才能の無い世界にしがみついているのはダメかもしれないけれど、 そこまで来ているのに諦めて引き返してチャンスを水泡にしてしまって いる人も多いのかもしれないなぁ〜と。 心理学の学校で カーネギー の『 道は開ける 』の講義の時に言われた。 道は開ける。 そして、ポイントは 道は突然開ける 。 この 突然 というところがミソで、人は徐々に開けると期待が持てるから頑張れるが、それまでは全く気配も無いから、諦めてしまう人が多い。 気配も予兆も何も無い。 ところが、 突然に開ける 。 だから、あと一歩、あと少し頑張れるかどうかにかかっている!と。 正にこれに通じる話のような気がした。 交通事故の方は無事であって欲しいが 学びの多い 待ち時間となりました。

値段設定③

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以前にあるプランナーサンが 数命判断 を頼んできて、値段を聞いて「高い高い」を連発されたことがありました。 しかも、超嫌な顔をして。 私は適正価格と思っています。 何時間もかけて、姓名や生年月日や今年の開運メソッドや数年間の運気の流れやその年の吉方位や月ごとの流月表など書面にします。 間違いの無いように下書きをして清書をします。 そして、お目にかかって1時間半から2時間をかけて説明する。 寧ろ、お安い位です。 親友に言わせると『 一生に一度 みたいなもので自分の姓名を鑑定してもらうのに高いも無いよ!』と。 確かに私もそう思う。 それを高いと思うなら、他を当たってもらえば良いだけ。 世の中にはパソコンで入力してプリントアウトしたものを12万と言う人もいらっしゃる。 習っている最中でも何万円と取る人もいる。 また、私の知り合いの知り合いには一回80万円という方も。 また、有名な占い師は面接をした後に10分間で200万円を払って、ありきたりのことを言われたという話も聞きました。 こういうものは 値段は様々 。 自由だと思います。 だから、自分に合う鑑定をされたら良いと思います。 高いからと 値切ろう とするのはお門違いです。 こういう鑑定って、確かにピンキリだけれど… 鑑定させてもらう人の幸せを願ってされる方が大半だと思います。 それを 値切ったり、無料 でとあくどいことをしようとすると、却って幸せが遠退くと思います。 その後に泣きながらお金を吐き出すことになる。 得したつもりが大きな損に繋がる。 値段が気に入ら無ければ、受けなければ良いだけのことですから。 鑑定してほしいならば 気持ち良く支払う ことです。 そういう 値段設定 にはそれだけのモノが含まれていると、どんなことにも思います。 私も色んなことで高いなぁ〜と思って諦めることも有ります。 しかし、相手に対して「高い高い」と言うのは失礼です。 そして、プロとしてされている方に値切ろうとか無料を催促するのは違うと思います。、

値段設定②

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プライスレス 昔に言われたことがある。 例えば、コンサル 例えば、鑑定師 例えば、モノ作りのアーティスト お客様が「これは プライスレス 」と値段以上の金額を支払ってくれる人が出た時に、 ほんまモノ となった証!と。 友達のアーティストサンも設定している値段より多く下さるお客様が多いらしい。 私も稀に プライスレス な金額を下さる方に出会う。 一番、最初はビックリした。 3倍以上の金額を下さった。 慌てて、お釣りを支払おうとしたら断固拒絶された。 それからは、素直に頂くことにしている。 そして、そういう時は周囲の人に何かをプレゼントしたりお裾分けをしたりゴチしたりするように。 私の知り合いの家庭教師の女性は高校を合格した時に生徒の親から「100万円」を渡されたらしい。 帯封付きで。 よく、勉強出来る生徒で何もせずに横に座っていただけらしいが。 流石に、こんなことは私には無いけれど(笑) 値段が異常に安い場合はイザ知らず、きっちり相場にしているのに プライスレス の金額をもらえるようになったら ほんまモノ と判を押されたようなことらしい。 値段設定③へ続く

値段設定①

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体調不調(目)のために、暫くは文書短めでいかせてもらいます。 あしからず。 値段設定 をしないといけない職業の場合って難しいものです。 カフェのモーニングの金額。 ケーキ屋やパン屋サンなんて1つずつのお値段設定に悩むこともあるかも? 5万円が5万2千円に値上げなんて、そんなに変わらない印象。 それが120円のパンが180円に値上がりしたら「高っ!」ってイメージに。 庶民は10円単位ですから。 私の 数命判断 も以前は値上げの時に凄く躊躇したこともある。 その時に知人が占ってもらった手相占いの方に鑑定してもらった時のことを話してくれました。 その手相占いは1回目は年収を書いた税金の申告書を持って行く。 すると、年収から出せるギリギリ厳しい金額を言われるらしい。 その金額を持って2回目にやっと鑑定らしい。 その時に知人が言われたのが 人間は無料や安く鑑定してもらったことは本心から真剣には魂には響かない。 払うのが辛い程の金額を払った時にこそ、本当に心に落とし込める。 そして、ほんまものの開運に繋がる。 その知人は専業主婦で働いていなかったから、旦那サンの給与明細書を見せたら指定された金額は25万円だったそうな。 だから、「 恭ちゃん!お客様の魂に落とし込むために値上げしていいんだよ! 」と言われて、今の金額に思い切れる1つの要素となりました。 明日も値段設定②をいきます

八方塞がり

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聞いたことがありますよね? 八方塞がり という言葉。 通常は悉く上手くいかず打つ手無しのことを指しますが… 数 の世界で言うと、 八方塞がりの年 というものが有ります。 それは、数え歳で十の位と一の位の数字を足して10になる歳。 例えば、19歳・28歳・37歳・46歳・55歳・64歳・73歳などが該当します。 振り返ってみて如何ですか? 私の場合は不思議なことに ターニングポイント ではあったかも? 数え年で思い出してみてね。 19歳(満18歳)は学生時代で1人暮らしをはじめた年齢。 28歳(満27歳)は塾をスタートとフリーアナウンサーをはじめ、姓名判断を学び出した年 37歳位からは何があったかも思い出せない(笑) 八方塞がり だったから、それを回避するために方向転換をしたから故のターニングポイントということかもしれません。 そして、考えてみたら生きていれば毎年、何らかのことは起こってはいる。 自分自身には大事は無かったとしても… 家族と暮らしていれば、家族の事故、怪我、病気にずっと振り回されてきたようにも思えますからね。 私の場合は今日までの人生では両親の分の 八方塞がり を私が味わってきたように思います。 友達が「家族が多いと常に誰かの問題が起こっているから、何も無く平和な年は無かったような、バタバタ過ぎてきたわ!」と。 そうですよね。 みんな、色々有りますよね。 八方塞がって いても 16方位 と考えれば隙間はあるもの。 ましてや、上に逃げる方法も有りますからね。 だから、 八方塞がり や 厄年 や、私の 数命判断の『逆運気』 も考え方で抜ける手段はあると思います。 頑張りましょう(*^^*)