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8月, 2021の投稿を表示しています

受け取らないor受け取る

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「念って怖いよね。 俺は送って来られる念は受け取らないから、送って来た人のところへ跳ね返るんだよね~」と言った男性がいました。 違和感が有りました。 その男性はかなりのタチの悪さで沢山の女性を食い物にしていました。 そして、女性に恨まれたら、女性から念が飛んできたら跳ね返すって… その話と同様な話を先日の講演会で聞きました。 「あなたにプレゼントを渡そうとしてあなたが受け取らなかったら、そのプレゼントは誰のモノ?」と。 そう、プレゼントを用意した人のモノ。 講師の先生の内容は最もなことでした! 悪口や妬みや嫉妬の感情を飛ばされても受け取らなかったら良いってこと。 しかし、この講演会の話を聴いた時に冒頭に書いた男性の言葉を思い出しました。 そうか、そーいうことね?!と。 どんなことでも解釈の仕方次第。 自分の都合の良いように取れる人は幸せよね~と。 その男性も誰かにこの講演会と同じような話を聴いて、そう都合良く解釈してたのかもしれませんね?! 人って、同じ話を聴いたとしても解釈は様々。 以前にお子さんの 命名 依頼で鑑定したら、波瀾万丈過ぎる名前で大凶が多くて心配となり、同じ音の他の字画の漢字を提案したことがありました。 しかし、その両親は敢えての大凶だらけの名前を命名された。 私はなぜ?と困惑! その両親は「平和で愛されて豊かで健康な幸せな人生よりも、自分なら不幸三昧で波瀾万丈で刺激的な名前の方が楽しいからOKなんです」と。 ほぉー?! へぇー?! 十人十色とはよく言ったものです。 命名 には受け取らないという選択は基本的には無いけれど、その両親のお子さんなら喜んで受け取られるのでしょうか? つくづく、多様化の時代だなぁーと。 付いていけていない自分がいます。 時代遅れなのか?

敬称略

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最近に『硫酸事件』が起こりましたよね。 その動機は『 敬称略 』だったと。 先輩が後輩から敬称略で呼ばれたことに憤り硫酸を掛けたと。 このニュースを見て、私も曾てやらかしたことを思い出しました。 10年以上前のこと。 ミーティングにスタッフが集合。 しかし、担当責任者の彼女は来ません。 彼女の苗字を山田(仮称)さんとする。 スタッフは苛立っていて彼女への不満が出始めた頃に彼女は呑気にゆっくりと歩いて来る姿が見えました。 スタッフの一人が「忙しいみんなを待たせておいて、なにノロノロ歩いて来てるんだよ💢」と。 彼女は私の半分位の年齢でした。 私は彼女はチャーミングで頑張り屋さんで可愛いって常々思っていました。 人間関係も出来ていると勘違いしていましたので助け船を出そうと言いました! 「遅~い!山田!早く~っ!! みんな待ってるょ!」と冗談ぽく。 彼女は笑顔で走って来ました。 その彼女の急ぐ姿にスタッフは笑顔になりました(*^^*) その時はそのまま穏やかにミーティングは終わりました。 しかし、その後から彼女が私に「呼び捨てにされた」と周囲に怒りまくっていたそうです。 そんなこととは知らずに私は彼女を妹分のように変わらず可愛がり、彼女が辞めていく時も本気で哀しんでいました。 彼女が辞めて暫く経ってから一人のスタッフさんから彼女が「呼び捨てにされたことを凄く怒りまくっていた」ことを聞き驚きました。 確かに、呼び捨てにした私は悪かった! しかし、そこには彼女に不満を言うスタッフから救おうとしたもので悪意は無く、寧ろ可愛がっていたからこそのフォローのつもりだった。 余計なお世話の思い上がりでした。 本当に傷つけて申し訳なかったです。 数命士 になって気付いた。 彼女にとって苗字を呼び捨てにされることはプライドが許さ無かったのだろう?と。 年齢が半分位でキャリアが彼女の何十倍もあるからと思い上がっていた私の過ち。 呼び捨てにする必要は無かったんです。 硫酸事件は問題外だが、後輩に呼び捨てにされることは彼にとってはそれほど許せないことだったのだろう。 姓名と いうものは本人の アイデンティティ そのものであり、やはり尊いものとして扱わねばならないと仕事柄、強く感じます。 私の世代はドラマの学園モノでも呼び捨て合うのが仲良しの証的なところがあったから、呼び捨...

先人

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数命判断のアフター での受けたご相談! 某団体で長年に渡って師匠の弟子の一番手として全てを捧げられていました。 師匠を尊敬されていたから公私において師匠の手となり足となり。 ところが昨年に他の団体が解散となった為に団体でお弟子さんの集団が移籍。 移籍の皆さんも最初は低姿勢だったのが今年になってから彼女に対して陰での画策や嫌がらせが始まったそうです。 移籍集団は人数の多さを強みに我が物顔。 集団故に怖いもの知らずのやりたい放題。 彼女の存在が疎ましくなって来た様子で、有ること無いことを師匠に告げ口をしたり、濡れ衣を着せたり。 はじめは半信半疑だった師匠もニューフェイスの皆さんが新鮮だったのか… 集団の結束力に押されてか… 元々の弟子の皆さんも以前は良好な関係だったのに、長いモノには巻かれろか関わるのを嫌がり知らん顔… 彼女は孤軍奮闘。 しかし、移籍集団の嫌がらせに拍車。 師匠と話合ったけれど噛み合わず。 遂には彼女も心身共に疲れ切った! 数命判断 の 『数命流年表』 でみると今年も来年も良き年。 彼女は 去る決断 をされていたが私の 数命判断 との答え合わせを求めてのアフター。 一見、良くないことに見える彼女に降り掛かったことは彼女にとって本当は好転機だと私は思います。 正にこれこそが私が兼々言っている『 礼儀正しく離れる 』というチャンス。 どちらかだけが一方的に悪いというものでは無いかもしれないが、今は策略勝ちと思ってる移籍組の皆さんは必ず因果応報を味わう時が来ると思います。 『先人』を敬う という大切なことを忘れて驕り高ぶり、数にモノを言わせての狡い行動で彼女を追い出したとしてもその先に明るい未来が有るとは到底思えない。 先人 に対して遠慮ばかりする必要は無いけれど、 先人 があってこその今日。 その 先人 を陥れて得た地位や名誉は儚いものでしょう。 向こうには向こうの言い分も当然有るでしょう。 しかし、彼女を大切にしない師匠や仲間の元で彼女が身を置くことは無い。 人は大切にしてくれる人達と共に笑顔で過ごせる場所にいるべき。 『礼儀正しく離れる』 ことに決めた彼女を応援します(*^^)v

強運

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「 あなたは強運ですか? 」 こう尋ねられたら、どう返事をしますか? なかなか返答に困りますか? 私は「 強運な方 」だとは思います。 その 強運さ についてはまたの機会に書くとして、「強運な 方 」のこの 方 という表現をする訳は… 強運にも上には上がモチロンいらっしゃる訳で、いや、そういうことでは無く。 稀に出会う「 幸せ過ぎて怖い 」という境地には未だ至っていないというところかな? この「 幸せ過ぎて怖い 」発言を初めて聞いたのは大学の3回生の時に友人のM君とMちゃんの会話でした。 2人共が「何もかもが思う通りに運んで幸せ過ぎて怖い」とビビっていました(笑) 確かに2人に起こってることは凄かった! 公私共に『 運の宝くじ1等前後賞 が数回当たってる』位に幸運が勝手に棚ぼたの嵐に見舞われていました。 そんな奇跡が有るのか?的な。 その傍らで地道に暮らす私は思った! 「Mという頭文字がいいのか?」と(笑) そして、「運は伝染しないもんなんだ」と悟りもした(笑) その後もこの2人はなかなかの強運さで人生を謳歌しているように見える。 そして、何よりも『 強運慣れ 』してるようで舞い込む運の強さを自然体で享受しているようだ。 ところで、 数命判断 の鑑定をしていて気付いたことが有る。 ずっと不運続きの人に急に『幸運』がやって来ると、取り扱いに倦ねる。 そして、『この幸せが奪われたらどーしょう』と不安に包まれ疑心暗鬼になる。 例えが的確かは分かりませんが「お金持ちの人ほど、そのお金が減るのが怖くて不安から更にお金お金と亡者になる」ようなモノなんでしょうか?! 慣れない幸せを得ると『この幸せを誰かに奪われるのでは無いか』という恐れから本気の『 幸せ過ぎて怖い 』になってしまう。 こうなると『 怖い 』ばかりに意識が占拠されてしまうので、もはや『 幸せ 』からは程遠くなってしまう。 しかし、『 強運 』に慣れている人は「また、強運の波が来たか」と当たり前に受け止められるので凄く自然体。 『 幸せ過ぎて怖い 』の常連さん(笑) そう思うと何ごとも慣れって大事! 私も「 幸せ過ぎて怖い 」と言ってはみたいが、何せ慣れてはいないので『 スペシャル強運 』が訪れた時に平常心でいられるか自信無し(笑) 努力をして報われて『 強運な方 』と...

運のDNA

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先日、聴講した講師の先生から「肉体のDNAだけでは無く、先祖からのカルマや 運のDNA も遺伝しますょ」と。 私も同意見です! 数命判断 の最も大切なポイントとして 魂 と今世における 使命 をお伝えするのですが… 数命判断 の177147通りに分類する時に 魂 にはそれぞれの 型 があります。 その 型こそ が先祖からの影響する 運のDNA なのです。 『 姓名と魂はリンクしています 』 だから、 姓名 を鑑定することにより、 先祖から受け継いだ運 が分かる。 私は 魂の型の鑑定人 みたいなものです。 それで、自ずと今世の 使命 も分かって来るのです。 昔、よく言われたことに。 「自分がしたことで自分に返ってくるのは自業自得だけれど、何の罪も無い可愛い子供や孫に自分の行ったことの代償がいくほど辛いことは無い。 だから、生き様は大事だ!」と。 最近はこんな話も聞かなくなりましたが、一昔前には言われていたことです。 肉体のDNAだけで無く、 魂や 魂 のDNA も確実に受け継がれていくと…私は考えます!

『代』の悲劇

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『 代 』の付いてる名前の方っていらっしゃいますよね。 実は私の母も。 以前に 漢字の成り立ち から付け無い方が良いとされる漢字について書きましたが… この『 代 』もその一つです。 『 代 』は代わりといった意味。 代打、身代わりと本来の人の代理的なニュアンスですよね。 名は体を表す の如く代わりをしないといけない運命になりやすいと昔から言われたようです。 戦争中には主人が戦地に赴けば妻が世帯主の代わりに家を守って立派に代理を務められるように戦中にはよく付けられたと曾祖母から聞きました。 確かに母の世代あたりには多い名前です。 恭ちゃん統計では『 代 』のつく女性は旦那さんが単身赴任で家を守ったり、後家さんだったり、親や旦那さんの介護をしつつ世帯主の代理をしている方が多い。 うちの母もその最後のパターン。 他にも調べたら名前に相応しく無い漢字って沢山有ります。 中には怖すぎるモノも有るので書くのは止めておきますが… 興味の有る方は調べてみて下さい。

行かずと行けずの大論争

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今から40年位前のこと。 従姉が姓名判断で「 行かず後家 になります」と言われたと。 親戚の女性陣の中で大論争! それは『 行かず後家 』なのか『 行けず後家 』なのかということで。 一文字違いで大違いとワイのワイの。 『 行かず後家 』とは貰い手が有るのに嫁入りしない娘のこと。 『 行けず後家 』は貰い手が無くって嫁入り出来ない娘のこと。 『 か 』と『 け 』の一文字違いは大違い。 これは女性のプライドに関わる一大事! その従姉は凄くステキな男気の有る懐の深いイケメンさんと結婚されてお孫さんの出来た今も幸せそうにご夫婦継続中。 従姉が受けた姓名判断は結果的には外れたことになりますが… 従姉はあのご主人と巡り会ったから結婚をしたけれどイマドキにあんな男気の有る人をよくぞ見つけたモノだと感心する。 あのご主人に巡り会わなければ従姉は『 行かず後家 』は大いにあったよなぁーと常々思っています! だから、姓名判断は統計学だから81%の確率と言われる。 つまりは従姉はその19%を掻い潜ってgetしたってこと。 受験合格A判定とD判定位の差かな。 D判定の狭き結婚の可能性を奇跡の突破! お見事バンサーイ。 そして私の姓名判断の結婚合格判定はZ判定の厳しいなんて言葉で表せない位の難関レベル。 確かにの納得です(笑) 私のことは置いておくとして、もしも悪い結果が出たもしても100%で無いことだけは確か! 難関で有るという鑑定結果ってことでは有りますが…

名前を使った人の心を掌握する術

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『 夢をかなえるゾウ 』の中に鉄鋼王のアンドリュー・カーネギー氏(カーネギーホール作った人)のエピソードが出てきます。 {カーネギー氏は小さい頃に沢山のウサギを飼ってて、その餌を集めるのが大変だから友達を上手く利用していた。 沢山の餌を持って来てくれた 友達の名前 をウサギに付けた。 人は自分の名前を大切にしてるから絶妙なこの心を擽る方法は大成功して友達達は競うように餌を集めて持って来てくれた。 カーネギー氏はこの幼い頃の成功体験を活かして大人になって同業者の会社を吸収合併する時に 相手側の会社名を残す ことによって相手側の社員のモチベーションを落とさないようにした。 カーネギー氏は鉄鋼王と言われるが鉄鋼のことは殆ど知らなかったらしい。 それよりも何よりも 人を掌握する術 に長けていて成功した人ってことだ} つまり、 名前というもの ずばりが各々にとってどれだけ大きな存在か?!ということの表れたエピソードでしょう。 人の心の核をこちょこちょと擽るに 名前 はええ仕事しまっせ!!みたいな(笑) まぁ、それで私もこのお仕事をやらせて貰ってるってことなんですが… 有難い有難い(*^^)v 同姓同名も有るし、自分の名前が嫌いと言う人も居るけれど 姓名 はみんなにとって 特別 で有ることだけは間違いない! 『名を上げる』『名を残す』『名を轟かす』など生き様と密接にリンクしていますもんね。

名前って誰のもの?

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数命判断 のクライアントの社長様が私の 顧問 って名刺を作られていて渡されました! 私、顧問 になったようです(笑) 『名前 は当人のモノだけれど、その人と関わりのある人全てが利用するもの』 自分のことを名前で言う人もいますが大半の人は「私は、僕は、俺は、自分は…」等と表します。 特別な人で無い限り、一生において自身の『 名前 』を呼ぶのは圧倒的に本人よりも他人の方が多い。 自分のモノなのに他人のモノのよう。 特にワンコやニャンコなどのペットなんて100:0で呼ばれてばかりです。 🐶「ゴン、ゴンって勝手に呼ばんといてくれます?」なんて言うのは聞いたことも無い。 それはbabyちゃんもですよね。 そして、会社名や商品名やオフィス名なども遥かにお客様の呼ぶ回数の方が多い。 実際のところは多い位で無いとダメよね?! そう思うと思いつきとか適当では無くって 想いや心を込めて は本当に肝要。 閃きでの命名もモチロン有るでしょう。 それでも 決める時の決意 は有って当然! みんなに愛され呼ばれ続けてこそ富貴繁栄も有ろうってもの。 名前は呼ぶ人みんなのモノ だから(*^^*)

名は体を表す

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数命士としてはここを語らずにはいられないって言うのが『 名は体を表す 』です。 前回に書いた『 名前負け 』とは真逆的なイメージですが、果たして『 名は体を表す 』は本当なのか?!と言うところです。 ドラマで『乙女』という名前のバリバリのやり手キャリアウーマン女史に男性が名前を揶揄するという構図が有りました。 また、現実にも大柄の女性が『小百合』と言う名前を自虐的に「『大百合』ですけど…」と。 確かに『 名は体を表す 』を実証していない例は多く有るとは思いますので100%正解とは言い難いでしょう。 しかし、多くの方の数命(姓名)判断をさせて頂くうちに強ち否定も出来ないなぁ~と思っています。 『刷り込み』 によっての 思い込みによって、名前が実体に影響を与えてしまうということはあり得ると。 両親等の愛情と願いの籠もった命名に応えようと、本人が自然と名前に相応しい人間になるよう努力した結果において『 名は体を表す 』という状態になるのは不思議なことでも無いような気がします。 『小百合』だから小さくは育つような芸当は出来ない。 DNAは命名には応えられない。 DNA「えっ?!小百合って名前付けられてしまったし、気を遣って体型を小さくしとこか?!」とはならない(笑) でも、『優子』だから優しい人間になろう!とか。 『義人』だから義理人情に厚い人間になろう!や『大樹』だから内面的に大らかな人間になろう!と意識に影響を与えることは確実に有ると思います。 『名は体を表す』 ことも有るには有る!

名前負け

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数命士 恭ちゃん としては由々しき事態なのは 『名前負け』 ということば。 名前負け とは本来は「名前が不相応に立派すぎること。実が名に伴わないために、かえって見劣りすること。」(by広辞苑)。 つまりは昔なら使わなかったであろう漢字『王、姫、妃、后、帝』などの高貴なイメージの漢字を使ったり、壮大な宇宙的な名前などで本人には 荷が重い です的な名前を付けられてること。 しかし、近頃の誤用として使われるようになったのは折しも現在開催中の高校野球の監督さんの発言。 ニュースでも取り上げられていましたが、監督さん達がやらかしましたの誤用。 ネームバリューが有ったり強豪校や伝統校との対戦に対して球児に誤った言葉での活を入れてしまっていた。 「強豪校であっても対戦校に 名前負け せずにいけ!」と使っていると。 ビックリよね?! 自らに使うことであって、相手側への名前の大きさに違う言葉では無い。 これも時代のなせる技かな? 最近では 名前負け なんて言葉を使わなくなったものね。 『畏れ多い』とか、『分不相応』とかは時代にそぐわない感じになってきていると思いませんか? 『オンリーワン』や『唯一』『オリジナル』など 世界に一つだけの花 現象。 それには何の不満も文句も有りませんよ。 誰しも唯一無二な存在ですからね。 でも、それでも『分(ぶん)』って有るって思ってしまうんですよね。 この時代でも 、 度を超し過ぎてないかい?と感じずにはいられないことも(笑) 『The 名前負け』的な。 だって、数命士だもん♪ 

字源

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字源 とは漢字の成り立ちのことです。 象形文字は 元 になるモノがありますよね。 だから、その 元 によっては 命名 において相応しく無いとされていた漢字が有ります。 ここに書くとショックを受ける方があってはいけませんので止めておきます。 (個人鑑定や講座にて詳しく説明を) 私の同年代でも相応しく無いとされている漢字を用いて名前を付けられている人もいらっしゃいましたが、20年位前からは キラキラネーム と称する読めないような名前の大流行により増加の一途。 いや、寧ろ相応しく無い漢字のオンパレ! 一昔前なら祖父母や周囲の人が余計な口も出していましたが… それはそれで問題ですが。 最近では若いパパママの独断命名には誰も口を挟めません!が風潮ですよね。 ジジババは黙って金を出せ!!と(笑) ニュースになった『悪⚪君』もその典型。 年配の保育士さんが出席名簿を見て「 フリガナ が無ければ全く呼べない。稀に太郎君なんていたらホッとする」と言われる程。 私も主宰している塾の生徒の名前も電話で申し込まれると名前の漢字がチンプンカンプンの連続です。 それが5年位前から著しい。 イマドキと言えども字画をネットでは調べてられているパパママも多いようですが。 しかし、キラキラネーム にするために無理から探してきた漢字も多用。 今までに使われていないような漢字で 名前映え を狙われているような… それよそれそれ! それが、曾てより相応しく無いとされていた漢字の多用に繋がっているのでは無いかな~?と推察します。 使われていなかった漢字にはそれなりに理由が有るんですよね。 迷信と言われる方も有るでしょう。 しかし、 字源 を知ると流石にゾッとするものを付けるのは如何なものか?!と… 昔から家を建て無かった土地に新興住宅地を作って、大洪水で水害被害とかって哀しいニュースと相通じるような気がします。 被害の後に年配の人が「お祖父さんがあそこは家を建てたらダメだと言ってたわー」と後の祭り的な話も多いですよね。 『 命が一番目のプレゼント、二番目が名前 』と言われるたいせつな贈り物の名前。 キラキラネームを全否定はしませんが、生涯使う名前ですから字画を基本に置くとしても、言い伝えてきていた 字源 にも少しは意識を向けて命名して欲しいと願います。 ...

数命判断初期講座第3回

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明日に予定の 数命判断・ 初級講座(姓名判断)第3回の準備をしています。 第1回目は姓名判断の基礎。 第2回目は旧字のある姓名判断 今回の 第3回 は ひらがな や カタカナ のある名前の鑑定方法の講座です。 私 の方法は ひらがな や カタカナ も字画を数えて漢字同様に鑑定を行います。 それとは別にオマケとして伝授しようと思っていることが有ります。 それは昔からの命名における定説。 皆さんにも少しプチ講座!! ひらがな の名前の人は優秀で 万能 な傾向。 しかし、 ひらがな のふわーっとしたイメージとは正反対の気丈な人が多いと言う。 カタカナ 名前の人は潜在能力に影響を与えることが多いと言われます。 例えば サシスセソ の人は音からの影響で爽やか系であろうと青系色を好む傾向とか。 恐竜や怪獣って ガギグゲゴ が多いと思いませんか? つまりは ガギグゲゴ は破壊的な音のイメージが強い。 余談ですが、ベっ⚪ーサンもなかなかの爆弾的要素が有りましたものね。 本当に名前って奥が深くて面白い! 初のお弟子さんに教えさせて頂いているお陰で再復習の良い機会を頂いています(*^^*)

一段高く前向きに!

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私の周りには見事な位に『 前向き 』な人がいます。 私も車に関しては呆れる位に前向きで、可能な限り前向き駐車がモットー🚙 これは年配女性の特性との専らの評判ですが私は若い頃からバックは苦手(笑) しかし、人生においては時々螺旋を描いているなぁ~と感じることがある。 定期的に同じような試練がやってきます! 形を変え品を変え、しかし、同じような試練がやってくる。 『人を信じ過ぎてハメられる』って形で。 計画的だったかどうかは分からないけれど、保身のために私のせいにする人が現れて全く身に覚えの無い事で責められる。 その時に私は誰が嘘をついたか分かるけれど、その人の名前は口にしない。 そして、弁明はするが潔くそこを去る。 そんなことが5回あった! まるで『火の無い所に大火』だけれど… 潔く諦める! 嘘をついた人にも残念だが、信じてもらえ無かったことの方に大きな落胆。 一番は自分の 人徳の無さ が情けない。 また、周りの人も庇って損になりたく無いからと陰では一緒になって怒ってはくれるけれど、表では黙ったまま。 更に 人徳の無さ を反省。 その時は辛いけれど、不思議なもので後になってから私にとってはベストな転機に毎回なっている。 そして見事にハメた人は勝手に悲惨な末路を辿っている。 『 前向き 』と言えばこの時期ならトンボ。 トンボは 勝ち虫 とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれたらしい。 そのため、戦国時代の武士で『トンボ』を兜等の装飾に用いた人も多かったとか。 トンボを眺める度に実に『 前向き 』にスイスイと飛んでるなぁ~と感心する。 そして、私も試練を乗り越えたら一段高い所を飛びたいなぁ(*^^)vと

一線を

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この生業( 数命士 )をしていると、凄まじい勢いでぐいぐいと大接近して来られる人がいらっしゃいます。 困った時の恭ちゃん頼み!的 な 。 頼られるというのは信用の証。 嬉しいことなのですが… しかし、ここが迷いどころなんです。 友達になってしまったら、それはそれで違うんですよね~。 私も人間だから欲目とか思考や感情が入ってしまう。 だから、一線を引いたお付き合いをする。 これを貫くのは難しいものです 。 私も以前のこと、ヒーラーサンや特別な能力の有る方と知り合った時は仲良くなりたい!!って思いました。 無料で視て欲しいからとか利用しようという悪意は全く無い。 ただ、色んなことを学びたい!知りたい!という純粋な気持ちからお近づきになりたい!!と願った。 しかし、なかなか内側開きのドアを開けてはもらえない。 もう少し親しくなりたいと思うのは厚かましことだったのか?! 畏れ多いことだったかな~とか。 実際に自分が鑑定する側となって初めて気付きました。 近寄り過ぎることが相手にとってプラスにならないことを! 本当にその立場になってみないと分からないことは有るものです。 きっと、今までに私がテッテケテ~と接近を試みた方の中にも、そう考えて一線を引かれたことも有ったのかもしれませんね。 茶道のしきたりで閉じた扇子を『結界』に見立て、こちらが一段へりくだり、相手への敬いの態度を示す作法が有りますよね。 戦国時代のもののふ(武士)の礼節で自分の前に刀を置くことで敵意がないことも表してた名残を扇子で代用してる訳ですね。 相手を尊重して、相手の方が自身の力で道を選び必ず進むことの出来る人なんだ!!と信じて、 礼儀としての一線を置き、 その上でのアドバイスを冷静に伝えていく。 この類のお仕事の厳しさで有り、ブレ無いための律する心構え。 そして、それは一抹の淋しさと共に…

真っ直ぐに

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昨日、以前に『 『数命鑑定』 』をさせて頂いた女性からSOSの電話が有りました。 真っ直ぐな彼女! (現在は鑑定予約受付も人数制限もしているので鑑定後も電話やLINEでのフォローしたり、希望者にはアフターと丁寧な対応をさせて頂いています) さて、その帰国子女の彼女は正に真っ直ぐな気性で駆け引き無しの本音勝負キャラ。 キラキラとした世界で働いていて、充実していた筈ですが1か月前から社内での人間関係の沼に足を取られてアップアップ。 話を聴くまでも無いことですが、私が年末にお渡をした 『数命流年表』 (今年1年間の彼女の運気を記した表』に「8月は怒り爆発の月」と記していた…そうです(笑) 覚えていませんでしたが(;^_^A つまりは彼女は『 数命判断 』通りに生きていただけのこと。 そういう流れの運気だったということ。 彼女は私の『 数命流年表 』の内容に左右された訳で無く、不調っぷりで開いて見れば…ドンピシャでSOSへと。 意識して生活しているかにも依りますが、例えば運気弱小の時期って有りませんか? 私は1月。 交通事故や盗難に合ったのも、体調を崩したり大学受験直後に手術に急遽なったりと抗えない不運は振り返ると1月ばかり。 後は夏に人間関係に低迷が起こりやすい! 季節に春夏秋冬があるように、誰にも多少なり、そういうバイオリズムみたいなものが有ります。 強運でいつも絶好調な人や全くブレ無い人やおめでたい人は構いませんが(笑) もし、そういう波を感じるので有れば、ほんの少し意識しながら生きるってことも大切だと思いますよ(*^^)v 真っ直ぐに生きられ無い時があってもOK!

紫陽花のドライフラワー

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庭の紫陽花をドライフラワーにしました! 何十本と試して成功したのは僅かの1本のみでした。 簡単そうに見えて難しかったわ(;^_^A 紫陽花は大好きなお花です。 しかし、プロとして司会者を始めた30年弱前は結婚披露宴等での『縁起の悪いことは御法度』の時代。 クレームが来ないように細心の言葉選び。 ハレのお席で切れるや割れるや別れる死などをイメージする言葉は禁句。 ✖ケーキを切る→ ⭕ケーキ入刀 ✖席に戻るや帰る→ ⭕席に着く ✖詩吟( し ぎん)→ ⭕祝い吟 ✖亡くなられ→ ⭕天国へと旅立たれ などなどキリが無いほどの制約の中を司会をしていました。 で、同様に使われる花も制約が有りワースト3は 紫陽花 ・菊・椿。 菊は仏のイメージが強く、椿はポロッと花が首から取れるのが縁起が悪いと。 そして、 紫陽花 は花言葉が問題でした。 『移り気』や『浮気』。 彩りを変えるところから、そんな花言葉となったのでしょうが… ところが、10年位前から急にブライダルの世界に 紫陽花 や菊がバンバン登場。 若手のプランナーさん達が寧ろ好んで多用された時期は古株スタッフ達はドギマギ。 私より上の世代はもはや怪訝な様子。 声を潜めて「紫陽花なんか使って大丈夫?」と唖然・茫然・騒然! しかし、若手スタッフ達は「紫陽花はガクが4枚だから幸せの四つ葉のクローバーみたいで縁起が良いんです」「密集してる感じが仲睦まじさを表して家族団欒って花言葉も出来てるんです」 調べてみると確かに花言葉にプラスイメージのことが追加されているΣ( ̄□ ̄)! そうなんですよね。 固定概念なんで誰かが作ったモノだから何とでも変えられるんですよね。 時代と共に変わる。 昔ならドライフラワーのブーケも『死に花』と敬遠されたものが、『プリザーブドフラワー』は 永遠の花 として縁起の良いモノとして花だけに華々しく逆境挽回著し。 時代も変われば全くの逆転も有り得る。 今が苦境でもいつ好転するかもしれない。 一喜一憂する必要も無いってことです! 『10年一昔前は今は3年一昔』 3年辛抱すれば変わります(*^^*) もし、今が辛くて♪ 不幸のズン底節 が人生BGMとして流れていたとしても、そのうちに♪ 栄光の架け橋 に変わります(笑)

棚業に来て下さる朝に想う

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今朝はお寺様(息子さんの副住職様は私の元教え子)が 棚業 に来て下さいました。 ええお声でお経をあげて頂きました。 で、お盆の頃には 施餓鬼供養 ってありますよね。 子供時代は施餓鬼を供養すると言うことに違和感が有りました。 鬼の供養?って感じでしたから。 私は実は浄土真宗の大学を出ています! 我が家は禅宗ですから浄土真宗とは無縁だったのですが、大学の教育心理学を学びたかったから選んだら浄土真宗だったというだけのことですが…スミマセンm(_ _)m でも、1回生の頃のみは専攻学科に関係なく浄土真宗のことを学ぶ講義も必須科目。 で、その当時に浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えを編纂された『 歎異抄 』も読みレポートを提出した記憶が有ります。 その時に教授から『 歎異抄』を誤った解釈している人が多い と言われました。 誤解して都合良く解釈する人が多いからと封印された時代があったとも仰ってた。 その講義で施餓鬼供養の訳も「なるほど」と併せて自分なりに納得しました。 少し前に 歎異抄ブーム が有りましたね。。 確か映画にもなっていた。 俄の親鸞聖人ファンも増えた様子。 本質を理解せずに上から目線で『善人然とすること』の怖さを感じるなぁ~と… 大学時代の教本を最近に読み返したところだったので、改めて感慨深く感じた台風の朝です。 ありがとうございました。合掌

透ける思いやり

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地元の多可町周辺には『 食べ助け 』という習慣が有ります。 田舎なので各自のお家で食べる分のお野菜は作っていますが、出来過ぎちゃうということが有ります。 あっちのお家から「ピーマンの食べ助けしてくれる?」 こっちのお家から「キュウリが成りすぎたので食べ助けしてよー」と。 お野菜があっちにお裾分け、こっちへお裾分け、交換ごっこになったり。 先日、近所のおばあさんが「街の人に『 食べ助け 』とあげたらね、本当に助けると思われたみたいでね、「助けたげるわ!」と恩着せがましく言われたわ(>_<)と。 また、「農業されて無い人に 食べ助け とあげたら、生もののゴミを減らすために捨てる代わりに悪いモノをあげたかのようにとられたわ」と。 自分の家族が食べる分ですから無農薬で作っていたりして虫が食ってたりしますが安心安全な丹精込めて作った野菜です。 しかも、基本的には人に差し出す時は出来映えの良いモノをあげますしね。 決して生ゴミ減らしなんてとんでもない!! 『 食べ助け 』という言葉は 貰った人が気を遣わないでも済むようにという『思いやり』や『優しさ』が溢れた多可町の独特のええ言葉 です。 相手を想う気持ちが 透かしみえる 言葉。 日本人の奥ゆかしい『つまらない物ですけど…』と贈り物を差し出すのと同様です。 そして、自然から授かった恵みを捨てることの無いようにと無駄を排して合理的、且つ、田舎らしいコミュニケーション手段(*^^)v 多可町のええとこです!!

『数命』でコンサル

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『数命士 恭ちゃん』に初の正式コンサルの依頼を頂きました(*^^*) クライアントサンは兵庫県の食品会社社長。 コンサルタントの語源は『consult』=「 相談する 」です。 クライアント会社サンのあれこれを『 数命判断 』を使ってご相談に乗らせて頂きます。 『 数命判断 』は姓名判断だけでは無く、商品名の命名や相応しい発売日も鑑定可能。 社用車のナンバーや電話番号、オフィスや建物の棟上げ日やオープン日などを社長様にとっての最適なモノを提供出来ます。 今晩はクライアントの社長様宅での定期的なコンサルday(*^^*) 社長様宅のワンちゃんも分かってるのか恭ちゃんに特別に絡んでくれます(笑) こちらの会社の素晴らしい商品が世界に轟く日に向け末永くのお付き合いがスタートしました💗 この会社のコンサル名刺も勝手に作るかなと目論みが… (この名刺は友達が製作してくれました)